描き下ろしじゃないもの。

絵を描き下ろさず提供する場合も、行き先で絵が使われる場合は
産み出した作家の心に負担がかかっているの、あまり知られてない。
言葉や文章、商品や物なんかも、そうじゃないかな。会社の従業員さんなども同じく。
元々そこにある絵(人、物、芸術)なんだからいいでしょとなっちゃう場合があって。
でも繋がりあるものとのエネルギー交換は
なんだかいつでもどこにあっても同調してるみたいで。
描き下ろしじゃないものも、描き下ろしと同じように作家にエネルギーが循環している。
自分と関わる彩りとのつながりの量は人それぞれかもだけど、
アートを産み出している人は、だいたい同じくらいのつながりがあるんじゃなんじゃないかな。

生きている小さな子どもとのつながりにも似ているのかしら?
どこかに連れて行かれてしまったり、離れるときに先方が、今家にいるだけなんだからいいでしょと
敬意無く子を連れて行ってしまったら
親御さんは負担なんじゃないかな。

絵を生きている子どもと一緒にするなと言われたこともあるけれど
きっとその人が絵を生み出しても世に出ない。
世に出ていく絵や物、スタッフと、それらを産んだ人の責任というのかな、そこはスルーできないほどの感覚の行き交いがあるんじゃないかな。
子どもが大人になって手を離れて、何をしてもどこをほっつき歩いてもかまわないという
境地にはなかなか。
だからこそ、敬意を持って大切に扱いますという気持ちを伝えてくださる場所へのお渡しが安心なの。
このやりとりへの願いは、不躾でもなく弱さや要求でもなく
当たり前のことになったらいいなと思っています。

敬意は、行き交うやり取り時に、お互いにあっていいと思うんだ。

命に代わる物をだします、大切に扱いますだとか
役に立つものを出します、役に立たせます、そんな気持ちの交換。
エネルギーは描き下ろしでなく有りものの場合は「かからない」、と定められてしまうと
まだまだ人の価値観とはばらばらなもんだと、気付かされます^^






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by arica_11 | 2017-12-05 17:50 | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


by arica_11