つれづれ

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心静かに、穏やかに。

今回の満月は、強いパワーがあるからこそ
身体をいたわって、忘れていた大事な想いに立返る時間としてね。

わたしは随分と大きな想いに戻って
ちゃんと休めなかった渇望が湧き出てしまい、
そうしたら休む為のしかけがやってきて
(道具の指を切った!笑)
家事を家族に手伝ってもらったりして。
感謝の中でほっとするような時間になり。

行きたかった展覧会は行けなかったけれど。
人混みよりひとりの時間を大切にする今回の選択。。

それくらい、心の休みを自分にあげた。(絵は描くよ)

過去、大病をした後に、
安まろうとするとひどく否定された痛みと
その痛みに耐えられなくて休まなかった自分の選択が
更に身体を壊していった出来事やらを

今のわたしは救っている。
まあ、無理せず休むだけだけど*

そして、あの時のわたしの安まりの渇望に対して怒ってた他者の感情を
自責にしていたところも、
ただ、怒りは相手の持ち物なだけだったことと
それらを自責にした自分の問題と
くっきり分けられて。


そう、大病をわずらった子は、虐待児童と同じように子ども時代を生きられないらしく
せっかく大病が完治しても、自死を選んでしまう人がかなり多いのだそう。
自分のせいで迷惑かけてごめんなさい、必ず返すからねを
抱いてしまうの。
その心理はよくわかるから(ここにもそれを知らずに書いてたし)
経験は、同じ思いを持つ方の
肩を抱くようなものになると、気付いていって。

自分を労りたい渇望や必要のあるときに
それを否定し阻止する人も現れ
大病や虐待のあった人が選ぶ思いの多くは、
他者の保護となってしまって。
他者の否定心や怒りを救おうとしちゃって。

その前にそこには自分を救おうとしていた願いがあったのに。
あっというまに譲ってしまう。
それは、病や虐待によって培った当たり前の感性なだけ。

それらを弱いとか意志がないとか言える人は、単に背景も経験も知らない。
その選択の意志の強さや信念の大きさ、培うことになった経験は、相当なものだ。
自分の健康より、他者の痛みを救おうとする行動は正しくはないけれど、
崇高なものだ。

わたしもその崇高な光がまぶしかった。
九州での結婚式の選択や、東京での結婚式の取りやめ、
九州から栃木へ弾丸ツアーでお見舞いに行ったことらは
自分のしたいことを抑えて、周りの要求を汲んでしまった経験。
より大事なものが、他者の痛みだった現れ。

正しくはない心の在り方だけれど、
自分の要求を他者へ押し付けることの方がもっと綺麗じゃなく見えたし
自分たちの欲を抑え、早急に思いやりを携えられたことは
今では背景で、とてもとても大きな支えや強さに代わっている。

他者を否定したり怒ったりする方が持つ、痛みの大きさ。
自分を抑えられてしまう痛みの大きさ。
痛みを持つから引き合ってしまうこと。

そういった縁から逃れ

ゆっくり休ませてもらい
しっかり働かせてもらっているような気がする
最近です^^






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by arica_11 | 2016-07-20 17:12 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


by arica_11