こどものときに傷ついた心というのは
大人になってからなかなかわかりにくい。

ある程度は気付いたり、
また目に見える記憶が残っていたりするものは
解消へ近付けるのだけど

傷つける方も傷つく方も無意識にしずむ
一見暴言でもなんでもないような方法のものは
何処にあるかもわからなくなって形を成さないのに、ずっと訴えつづける。

それが病やトラブルとなって表面に出たりするのに
原因が深い傷だなんて、誰にもわからない。

とにかく自分の中にしか秘密はない、原因はない。
人の行動は関係なく、
自分が「そう見てる」「そう感じている」ということこそ
焦点をあてるのが大切なのだそう。

「あなたはこうだ」と怒られたりするその理由が
相手の心の問題だったりすることへの
造詣も深くなっていい。
かつてにも、
アートの対価を受け取った人がわたしには、「あなたは受け取ってはならない」と怒ったり、
アートを無償で受け取った人が、「無償なのが当然だ」と怒ったりするのを目の当たりにして
怒りの理不尽さには、彼らの内面の葛藤を感じたし、また
理不尽であっても怒りというものに、罪悪感を抱く自分の問題があるんだなーと
気付かされた。

人の方が悪くて問題があるとする考えですぐ対処すると
こんな風に、理不尽な操作や略奪や支配を、正当化しちゃう。

人を使って欲を満たそうとする行為は、決して真には満たされない行動だから
必ず納められたらいい。
虐待などの傷への対処はとても苦しいものだけど
自分で持ち続ける思いを手放すことを目標にしてゆくしかない。
ここはでも、ずっと気にかけていたい場所です。

きっかけは他にあっても。
抱くのは自分。
その抱いた思いを、いかようにも操作して、いかようにも次に行けるのだそう。

今回の展覧会ではちょっとそれが上手くいったので
後の機会に書いてみようと思う。

一方で、なかなかわからない部分の訴えについては
今だからこそ気にかかっている。
この引っかかりはいつかクリアにしてみたいな。





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by arica_11 | 2015-12-02 19:24 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


by arica_11