愛情不足、母 そして

先月の天赦日にスペースを借りて
のんびり準備していて、開けられるのはいつになるかわからないけれど
空いてほしいなーと思ったタイミングで部屋が空いたので、借りてみた。
代々木八幡駅から徒歩一分のスペース。

サーフトリップに行って、毎日がしがし海に入って
美味しいものを食べ友達に会って
帰ってきてすぐの出来事。

そういったご縁や日月の、避けられないような流れの強さは
この辺りの日は勢いがあって
すっかりあらゆることが良きタイミングで入れ代わっていったように思う。

人を思い通りに悪者にして攻撃できる心理とは、お母さんへしたいことだ。
そうゆう思いが緩やかに心に流れ込んで、また遠ざかった。


悪者でもなんでもない、むしろその人にとって助けになった人を
突然悪者に定義して、怒れてしまう、壊せてしまう架空のイメージの強さは
その人にもわからないほど見えにくい場所にある、お母さんへの怒り、恨みだと
わかれたのは、とてもよかったことだ。いくつかの
出来事が徐々に教えてくれて、最も強く知らせてきたのは、
男性から手渡されたイメージだった。それまでは女性の思いばかりが
やってきて恨みがどこを差しているのかわからなかった、しかしその恨みは
その人のお母さんへの幼い頃のどうしようもない、渇望
でしかなかったことを

いつのまにか教えてもらっていた。

お母さんを尊敬してる人は多い。みな「あなたは間違ってる」と言う。
お母さんを尊敬してる、愛している。だから
母からの愛情不足を抱えていることは、尊敬や愛情に隠されると気付かない。
渇望はかき消され、別の人へ、恨みが変換される。
その人をその時最も、大切にしていた人へ、だ。

なんてことだろうか。望みを察して手を差し伸べてくれた人を、大事にしてくれた人を、
こらしめられてしまう心理。
だけどね、人は不完全なんだよ。
そういったこともある、そういったものなのだと、
心の奥深くにある自分でも意識できない怒りを、別の誰かに投影してこらしめて楽になれることは
その人にとってはよかったことなんだよ。と
今はわかる。

だからといって、暴力は肯定しない。
そこはとても重要なところだ。わたしは理解しても許容するわけにいかないものをもう知ってしまった。
線を引かなくてはいけないことを、理解できた。
きっとずっと許容してきたからだ、何度も何度も繰り返してきたからだ、幼い頃に。
幼い頃に、許しすぎて受け入れすぎていた。
その日常の癖を、手放すことが大きな課題だった。

わかっているのに、気付くとまた。
わたしは判子や現金を持っていくことなんかしないけど、お仕事を
間に入れることが多かった。
必ずお仕事で循環するようにしていた。
だけど彼らは無償の愛を欲しがった。わたしたちに我慢を強いた。

そういったことの理由。人が不完全であることはとても崇高なことだ。
誰もが弱く幼い。一方で高い暴力性と攻撃性を持っている。

わたしたちはただ、それらを納めてゆくことしかできない。











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by arica_11 | 2015-10-17 00:00 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


by arica_11