その人は、身体が整う健康法を実践していたけれど
怒りだけはなくならなかったのが
とても不思議だった。
身体中健康なのに、怒りだけは抑えられない。
それは、周りを壊せてしまえるほどの強さで放たれて。
どんなに自分と人の身体を整えても
一方でそれ以上に人の健康を害してしまえる怒りを放つそのバランスは
本当に健康的なことには見えなかった、だけど
そんな風に必要な人を治し、不必要な人を壊すことこそ
その人にとって、心のバランスをとるものであったんだろうと
今は思う。
すべての目的は、その人の、のし上がって凄くなりたい
ためのものでしかなかったように感じられる。
健康法の実践は
人の健康を心から願うことでも
自分の成熟を培うことでもなく
その人自身の誉れのためで
自分の凄さを確認したいためのようで。
健康を願う気配は素敵なことで、その真意はすっかり隠せるけれど
抑えられない怒りが
本当の目的をちゃんと表現した。
人が思い通りにならない怒り、自分が思い通りにならない怒り。
本当に怖くて、めちゃくちゃなものだったよ。
素敵なことは、利己を隠しすぎる。
どんなに素敵なことを実践してのし上がれても、
利己から放たれる怒りの原動力は、何を構築したかったのだろうと
ふと考える。
なぜそんなに凄くなりたいの。
誰よりも褒められていたいの?
その理由を知ることはとても大事なものに思うのだ。