セバスチャン・サルガドを観て

解決に向かってるというのは、自分が取り組める気持ちになっただけで
物事が向かってるというわけではなかった…
本当に、自分の力や身体の及ばない場所で絵が壊れてしまう出来事は
大変で、でも乗り越えさえすれば
ちゃんと助けになる出来事。
それはわかっていても
全然簡単に乗り越えられない。
助けが待っていても、そこへ行けない。
誰かが助けてくれるわけでもない。
でも助けをお願いすることはできるのだから、もうたまらなくなったら、
さっとお願いしよう。
それにしても、こんな方法を何処からかに手渡されるのはもう止めにして
産み出す方でがんばりたい!^^;←こちらも今がんばってるけれども。

作品は、物ではなく、人と一緒だと以前、人に言ったら
すごく怒られてしまい、倒れるほどだった。

でもその人は人が壊れたって倒れなかった。
物が壊れて倒れることは、人と同等の事象であるわたしとは
全然違う価値観のまま、簡単に激高して人を壊してしまえてた。

人をこんなに簡単に壊せるのだから
物なんてもっと簡単に壊せてしまえる人がいるのも、わかる。

ブンカムラでセバスチャン・サルガドを観て
自分のために人を壊せるのを選べてしまう人々が絶えないことを
思い知らされる。
それが地球で。
日本だって同じで。

この日本でだって、穏やかそうに見える家庭や、学校、会社で
自分のために人を壊そうとする人が、たくさんいる。
全然、外国の出来事に思えなかった。
民族紛争だけのことに思えなかった。

人が苦しむのも人を壊すのも、遠い場所の出来事だと思っているのかもしれない。

だから暴力も正当化され良きものへ変わり
目の前で苦しんでいる人を見てもねぎらえず
むしろ怒ってもっと壊せてしまえるのが
日本に存在する一部だ。

でも、なんでこんなにそのことが多いのだろう?

人を壊さない努力をしている人は目立たないし
そっと支えてる人なんて気付かれない。

お店に来てくれるお客さんに支えられてるって気付かない経営者の人もいるくらいと知って
なんでなんで、こんなに「してあげてる病」なんだろうと、不思議に思う。

日本の人も、世界の紛争のある地域の人も
日常が大変すぎて、
人のためにしてあげてると思わなくてはご褒美がなくて
自分は強いと思わなくては安心できない
未成熟な心が
人を壊しているように思える。

成熟さや凄さは、人や物を壊さないものであるのに。


















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by arica_11 | 2015-09-14 19:48 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


by arica_11