そっと行う

相手を思うだけでなく、相手の思いに添うということを
求められがちだけれどまあそこは
相手の要求で、叶えきれないものでもあるんだろう。
人の分を叶えようとしてできずに苦しむなんて
なんて余計。
例えば傷ついた人を思い遣っても
経験がないときあなたは違うと拒絶されることがある。
相手を大事に思う気持ちは、望むものとは違うと
かき消されてゆくけれど
そこにある思いは決して相手を傷付けようとするものでもなく
大事に思って差し出したものであるのなら自分だけは
その思いを救いとって、そっとしまい込もう。
相手の言うままに消して、壊して、代わりに罪悪感を受け取るなんてことを
余りにもやすやすとしがちだ。
かき消すところまでが相手の必要としていた行為なのだと受け止めて
自らを壊すほどまでを選ぶんじゃない。

壊したがりの声はときどき近くにやってくる。
どうしてか、傷付ける理由も傷付けられる理由もないのに
一方が一方を無闇に痛めつけて、喜んでいる。
喜びたいため、ほっとしたいため、安心のため。
理由はただ、彼らの心の中に在るものの消化のために
関係のないものたちが、関わってるというだけで痛みの受け皿になる。

心の中に在るものは、不満だったり傷だったり、時に単に喜びたい思いである。

見えない大きな思いの受け皿は、何処か別のところに置ければ楽だ。
身が軽くなる。

目の前にいる自分と関わりある人へ
無理矢理渡す重き思いの、とても異質で印象に残る様を
そんなものなのだと思う。
決して同化はできないのだから。

ああまた、余計なものがやってきたと
いちいちそっと皿を空けられたらいいのだけど。









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by arica_11 | 2015-07-07 21:03 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


by arica_11