人が受け取れる思いをひろげてゆく

出来事に助けてもらう。
あの本のニュースによって。

他者の利己欲、我欲が、受け取れないものなだけだったこと。
全ての人がそうなのではないかな。

怒りの中身が利己欲
謝罪の裏側は利己欲
指導のようで利己欲
そういった他者の欲をもらうことは、きっと誰にもできない。
個人で解決してゆくしかないのが、個人の欲でしかないもの。

他者を使って自分の欲を満たして喜びたいという方法を見ることにいちいち
違和感を持ってた。

他者の欲を満たして喜びたい気持ちは、だけど
珍しいことじゃない。
それこそ承認欲求とか投影だとされたとしても
利他欲を持つ人だってたくさんいるし、出会えている。

自分の欲ではなく、他者の欲を大切に思ってる人に
気付けば随分出会えている。

怒りも謝罪も指導も、利他の気持ちから発せられたものなら
響くし心から受け取れる。感謝できる。

利他の思いが利己であったとしても
利己の思いを利他のように見せかけるよりずっと素晴らしい。

利己欲からのものは、きっと誰もが受け取れない。
受け取ってはならないくらい。
特に子どもたちには受け取ってほしくない。

簡単なことなのに、なんだか奥深い欲の部分を捉えず
前面の言葉などに翻弄されてしまうのは
我欲からの言葉は暴力になることもあるくらい
力がこもってるから。
多くの人の利他欲は、一人の人の利己欲によって
逆にされてしまうこともあるほど。
利他の思いは利己に捉えられ、利己の思いを利他だったと後から変化させる技で
暴力的なまやかしは正当化されてもたらされていたりする。

その力の配分を
真逆にひっくりかえそう。

利他の精神こそ力を込めてつなげていって
波紋にして広げてゆこう。
それは誰もが受け取れる思いだから。









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by arica_11 | 2015-06-13 05:21 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


by arica_11