暴力を止めてみよう

なかなかうまく書けないが、もう一度掲載してみる。
わたしたちと仲間は、ある言葉の暴力によって熱を出したり吐いたりするくらい
体調をしばらく崩してしまった。
今回はわたしだけじゃないので、気をもんだ。

人の尊厳を奪うような暴力的なイメージがやってきたが
実際の出来事は、皆が相手を大切に思って携わっていたことで
相手の尊厳を奪う要素で満たされてなどいない。

しかし自分たちが悪者でないと、暴力をもたらされる理由にならないため
暴力を受けた者は、自分を何度も振り返り、自問し
恥ずかしさと後悔、罪の意識にうちひしがれた。
バランスを取り戻すのに時間がかかった。

この時、最初から見ていた第三者がいたため、
施したことと受け取ったものを冷静に判断でき
アンバランスにより気付くことができた。

暴力は、自分の思いで自分が苦しむのも特長に思う。

もたらされた力を分けて、最初にあった思いを知るのはとても大変だけど
とにかく自分たちの真実を信じることは
とても大切だった。

また、暴力になるものは、タイミングも必ず理不尽だ。
相手が事前に了承して事が済んだ後や
代金やものを受け取った後などの
批難よりむしろ多くを受け取って感謝するタイミングであることが多い。

それは感謝することを「損」と感じ、なかったことにしたいため
発動してしまうものなのかもしれない。

そんなとき、感謝を施すことさえ苦しい、相手の思いを見つめられることも
できることのひとつだ。
投影同一視などの心理を知っておくのも役に立つ。

帰結するものは繰り返しになるけれど
「正しくないなら最初に言えばいい、そして受け取らなければいい。
いくらでも最初に止められた。
何日も後になって、終ってから言うなんておかしいじゃないか。
受け取っているのにひどいじゃないか。
それにそんな思いを君は持っていたのか?
持っていないなら堂々として、謝るんじゃない。
最初に持っていた思いを信じなさい」
という声に表される。

また見ていなくとも第三者の声は判断を強化してくれるので
大変助けになった。

以前にコラボした、カラーリーディングの佳苗さんには
「相手がもたらすものは
相手の方自身のお母様へ
手渡したい思いなんだと思います。
それは根本さん自身のお母様との関係ともリンクして、
あのときお母様がどんな思いを持っていたか
根本さんへ教えてくれてることじゃないでしょうか」
と助けられた。

ここに書いたのは単に自分自身の整理のため。
誰のせいのことでもないし、さらすことでもない。
ただ、もし今、気がかりを感じた人がいたら
文面が役に立ったらいいなと思う。

罪悪感、恐怖、恥を持ち続けないことこそ健康だ。
人を悪者にせず攻撃しないでいられることも、健康な心だ。

健康とは、病気でないかどうかではなく
やはり平穏で不安なく、安定していられることなんだろうと思う。

知識を持てること、暴力を暴力と区切れる勇気
それでも相手をそっとしておける余裕を持つことは
健全な証拠ではないだろうか。
知識や力や余裕がなければ人からの助けを惜しまなくていい。
とにかく、安定と、自分も暴力を選ばない状態を、一番に求めよう。

安定のために、相手を糾弾することは
正当化できない罪深いことであるのを理解して
それよりも相手が楽になって
他の人に同じことをしないでいられる状態を保ってもらえることを願えることも
大切な受け渡しになる。

暴力は連鎖が招くものだ。
受け取った方は、本当に苦しいけれど
そのシステムを理解して、止める気概を身につけられるよう。

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by arica_11 | 2015-05-26 15:05 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


by arica_11