プルートゥ

昨晩録画した舞台プルートゥを観た。
今テーマにしていたことが描かれていて、食い入るように観てしまった。
そしてアトムの最後の決断は
わたしたちのしたことと同じだった。

絶対に許せないと言葉にしたアトムと
同じ決断を、選んだあの時のわたしたち。

物語にも触れることなので
これから鑑賞する方はお気を付けください。



絶対に許せないと言って
暴力を正当化する人もいる。
暴力を受けたのだから、
そうしないと対抗できないし解決しないと考える人もいる。
それでもそこに在るものは。

暴力が全てではない。
暴力になってしまった勘違いや見当違いがあり
誰もが持ってる悲しみや苦しみもある。

背景までを捉えて
暴力を(と思ってしまったものを)暴力でもって対抗しないでいられる
優しさや慈しみを結局は
心におろすために試されてるようなことなんだろう。

その方がずっと簡単でなく、苦しみを伴う。
むずかしい。
それでも暴力を正当化することだけは、誰にも何にも
手にできないことなんだろう。


投影同一視について、考えてきた。
相手に自らの内面にあるものを投影して
相手の持ち物と捉えて反応する形。
自分の内面に自分で応えるために
他人を鏡として使う形。
わたしも、他者が喜ぶ姿を想像して
自分の中に喜びを感じていた。
自分の喜びのために、
他者の喜びを願っているだけなのかもしれない。
結局は誰のためにもならないのが
自分の他者への願いだ、それでも
他者への攻撃を明らかに選ぶことだけは
他者だけでなく自分をも傷めつけていることでしかないと
改めて理解する。
他者に苦しみを与えて
自分の苦しみを怒って
気持ちが楽になっても本当に残るものは、
生々しい傷なんじゃないかな、
他者の中にも自分の中にも。
まるでリストカットみたいに
傷を残してほっとする方法なのではないかな。

だから、暴力を正当化しない
止める勇気を得ることも
必死に生きることでもあるんだろう。
止めなければ、どこまでも世界への連鎖は止まらない、それは
本当は世界を変えるほどの大きな行動なんじゃないのかな。

わたしたちの決断が
アトムと同じように、暴力を渡すのを止めたことが
少しでも救いになって
他の人へ同じ解消方法を届けない思いの根になったらいいと願うけれど
物語のように完全に良い願いが連鎖するわけでもないのが
人間の不完全なところと分かっていつつ
これからも同じ強さを知り
携えていたいな。



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by arica_11 | 2015-05-25 10:28 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


by arica_11