描き下ろしじゃないもの。

絵を描き下ろさず提供する場合も、行き先で絵が使われる場合は
産み出した作家の心に負担がかかっているの、あまり知られてない。
言葉や文章、商品や物なんかも、そうじゃないかな。会社の従業員さんなども同じく。
元々そこにある絵(人、物、芸術)なんだからいいでしょとなっちゃう場合があって。
でも繋がりあるものとのエネルギー交換は
なんだかいつでもどこにあっても同調してるみたいで。
描き下ろしじゃないものも、描き下ろしと同じように作家にエネルギーが循環している。
自分と関わる彩りとのつながりの量は人それぞれかもだけど、
アートを産み出している人は、だいたい同じくらいのつながりがあるんじゃなんじゃないかな。

生きている小さな子どもとのつながりにも似ているのかしら?
どこかに連れて行かれてしまったり、離れるときに先方が、今家にいるだけなんだからいいでしょと
敬意無く子を連れて行ってしまったら
親御さんは負担なんじゃないかな。

絵を生きている子どもと一緒にするなと言われたこともあるけれど
きっとその人が絵を生み出しても世に出ない。
世に出ていく絵や物、スタッフと、それらを産んだ人の責任というのかな、そこはスルーできないほどの感覚の行き交いがあるんじゃないかな。
子どもが大人になって手を離れて、何をしてもどこをほっつき歩いてもかまわないという
境地にはなかなか。
だからこそ、敬意を持って大切に扱いますという気持ちを伝えてくださる場所へのお渡しが安心なの。
このやりとりへの願いは、不躾でもなく弱さや要求でもなく
当たり前のことになったらいいなと思っています。

敬意は、行き交うやり取り時に、お互いにあっていいと思うんだ。

命に代わる物をだします、大切に扱いますだとか
役に立つものを出します、役に立たせます、そんな気持ちの交換。
エネルギーは描き下ろしでなく有りものの場合は「かからない」、と定められてしまうと
まだまだ人の価値観とはばらばらなもんだと、気付かされます^^






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# by arica_11 | 2017-12-05 17:50 | Comments(0)

音声ガイドについて。ついに制作!

本日よりチュプキでは、無料の映画鑑賞が19時よりはじまりました。
ショートフィルムコンペ 受賞作品の上映です。
約一時間の上映で、5本。
その中の5本目である、駒形ミヒャエル 監督作品『ドキュメンタリー Life must be easy』
根本が音声ガイド制作を担当しています!
監修はチュプキさんが入り、修正ももちろん入ってるけれど
一本まるごと書かせていただいたのは、初めて。
ぜひ、チュプキの特徴である、音声ガイドもイヤフォンでお聴きになりながらの鑑賞も、されてくださいね♪

ガイドなしの映画も観てほしいけれども!
本当に素晴らしい短編です。大好き!



音声ガイドは、9月ほどより3部作のある作品に携わっています。すごい嬉しー^^

音声ガイドとは主に視覚に障がいのある方の利用する、映画鑑賞の機会で聴けるシステムになりますが
ガイドは一本の作品につき10人ほどで、1ヶ月かけて制作する媒体です。
担当はひとり10分程度ですが、非常に時間と労力のかかる、壮大なお仕事です。
私が関わってる制作はすべてボランティアで創られています。

10分とはいえ、何度も映画を観、何度も言葉を推敲し、10分にさえわたしたちはまだまだ何日もかけて制作する状況。
それを毎週視覚に障がいのある方がモニターさんになってくださり、ガイドを担当する全ての人が集まる検討会を通して
一回につき6〜8時間、映画一本分で30時間ほどかけて検討をかけ、最後に通し検討を入れまとめて
仕上げてゆきます。
こんなに時間と労力がかかっても、出資する媒体からはお金は皆に分配できるほど配給されません。
音声ガイド制作を統括するチュプキさんも、10人以上が集まれる会議室にスクリーンを入れて、上映しながらのガイドあてをするための施設運営費や資料代が毎回かかっています。
もーすごいです。
みんなの映画愛、チュプキ愛、ボランティア精神がなくてはできないお仕事!本当にこういった作業に携われているのは光栄です。

障がいを持った方へ向けた支援への、助成はまだまだ少ないです。
そして全然支援が足りてない状況。
映画の音声ガイドも、欧米は定められていてほぼ全てに入っているのに
日本は相当遅れていて、最近やっと制作されているとか。
その草分けの存在がチュプキの親元である、シティ・ライツなんですよね。。

ガイドをボランティアの方が創られていることは、何よりその映画が好きだからに他なりません。
本当に大好きな映画に自分のガイドが入る喜びは、代え難いものがあるー
そんな中でも、多くの人の見識が上がり、こういった作業が世の中に存在していることとか
それを無償で行っている人がいることへも、目を向けられる世界になったらいいなーとも思います。
今は何に分配されてる世の中なんだろ。
研究への助成はいっぱいあるのに、たった今必要でもうすでに動いているものへの助成ってなかなか目を向けられていない気がするなー。

わたしは絵を通すものは決してボランティアは行いません。なんだろ、産み出す場所が違うし、身の削り方の度合いの大きさを知っているからかも。
それでもお金がないよーと言うところでは安価で引き受けるために、お話しさせてもらったりして、決定することはよくあります。
敬う気持ちがお互いにあれば、どちらも極端な犠牲を被ることはなくて。
そんな風にお互いが敬い合って、みんなが苦しくなく進められることがとても大切だからこそ、
絵に関しては完全ボランティアは苦しくなってしまうとわかっているので、行わない…そんな自分の作業への理解が有る感じです。
それでも、ボランティアが良いという部分だけを見てしまえば
なんでもボランティアの方が優れている、みんなもやってるのだからそうすべきだという考えも出てきてしまったり
話し合いもなく要求だけがもたらされたり、勝手にそうなってしまったりということもしばしあり。。
そこはもう敬いはなく、欲や甘えで創られる世界になってしまってるんじゃないかな。
こういった甘えの導入では、ボランティアも、当然お仕事も、やらない方がいいと感じています。

ボランティアとは、
自らの意志により参加した志願兵のこと。長じて、自主的に社会活動などに参加し、奉仕活動をする人のこと。
とあるように、自分の意志で選び喜べる活動であることが大前提。
こっちから依頼したい!飛びつきたい!くらいの行動を選べる場合と
依頼を受け、無から産み出す場合では
その労力の使われ方は違うと思います。
作業とはすべてを一緒くたにはできないことを、ちゃんと理解していないと
ボランティアは、問題ある見識も、時に生みだしちゃう媒体な気もしました。
差別や偏見が、ボランティアができるかできないかに入ってきてしまったら、本末転倒ね…と。

何に関しても状況に合わせて見間違えずに。
これからも好きな作業、表現は、じゃんじゃん進んで行ってゆきたいなーという2017年末なのでした^^















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# by arica_11 | 2017-12-01 22:18 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


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