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目の前にあるものへ、信頼を。

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数年前からそんな流れだったけれど、
2017年は、以前に比べても結論が出るのが速いのではないかな。
思った世界へ行けるのが速いの。

だから行きたい世界や居る場所を、信じていてほしい。
必ず守られる世界にいると信じられるなら
何があっても守られる。
自分が願う形は、すぐに現れる。

このことは、実証がないとなかなか信じられないかもしれないけれど
まずは小さなことから気付いてゆくのもあり。

例えば、電車に乗っていて、今このことを教えてほしいと願ったら、目に入った広告の文言がぴったり答えに当てはまるとか。
今そばに信じられる人はいるの?って聞いたら、手にしていた本の表紙に求めている人の絵が描かれているとか。
これが欲しいと願ったら、すぐに人からいただけたりだとか。

自分の行動たちが絶対人を守るとか、人の役に立つと信頼できているなら
それを大きくしたり守ったりするためのサポートはやってくる。その人の求める形で。
逆に手に入らないものだって、サポートと言える!
そのことに気付ける。気付いて良い許可をしてよいということ。

一般的ではないことかもしれない、自由な発想であるところがポイント。
ただ
固定観念を外して、本当に自分の求めている世界を理解することが、
世界を自由に構築させる。

映画館が造りたい、と願えば、自分たちの固定観念を外した方法で、手助けが入り、造れてしまう時代!

この時も、多くの人が寄付で1880万円も集まるなんて信じられなかったと思う。
だけど願いや思いだけは、「大丈夫、そこに辿り着けるだけの力が在る」と、知っていたし
その声を届けることができる人にだって出会えたり。
(この時はわたしの絵は大丈夫を顕してくれていたし、他の方もそう表現されていたそう)

わたし自身のサポートのことは余り書いていないけれど…
09年辺りから徐々に思いもしないサポートが増えてきて
どんどん規模も大きくなり、分かりやすくなっているのはたしか。。

人のためと、自分たちのために本当に力を尽くしたものへは、きちんと物質的には負荷がかからず、
サポートが戻ることを信頼できている。信頼せざるを得ないほど。
いろいろありすぎて理解を超えているので全ては書いてはいないけれど
とても多く、規模も想像よりは大きいかもしれない。
そして余りにも当たり前のことのように、やってくる。
だってそういうものでしょ?と言わんばかり。

このサポートたちの、わたしにとっての重要な点は、
自分にとって一番の課題を乗り越える方法が取られる所。

最初は決して楽にではないところが逆にありがたかった。
そして今は楽に返還される方法に変わってはきてる。

必要な課題を乗り越えさせてもらえるところが、本当に素晴らしい。
経験として、いくつもステップアップできる方法でやってきてくれていた。
今は、可能性を理解できた世界観が成り立ってるようなところもある。
捉えなくていい思いを分けられ、捉えていい思いに信頼を寄せられたということ。

課題も、固定観念が外れていると思う。
だってわたしの場合は、無価値観や自己否定、罪悪感の課題を乗り越えることが
サポートのキーだった。
このことは普通のお仕事ではなかなか気付きにくいし取り組みにくいことと思う。

変わった形で現れ、変わった形の課題であるが、
何よりも一番大切なことと気付けたことで
毎回毎回が感謝となった。

その方法には、結婚式で多くの人の宿泊費交通費を負担させてもらった直後の
以前造った壁画が事故で壊れてしまった修正依頼などもあり
それはまだわかりやすく
ご依頼も保険対応ということで、きちんと飛行機代材料費などすべて遠慮しないで済み
且つすぐに返還が起きるなど、説明がしやすかったけれど
思いもしない返還のきっかけには
絵が無断で書籍表紙に使用されてしまったり
絵を捨てられてしまったり絵が事故で壊れてしまったり
工事失敗での修正などもあったりしたので
自分の課題を突き付けられ、対応が大変なものも多かった。
そう、でもね、本当に
罪悪感、無価値観、自己否定を捉えなくて絶対いいものであることは確かであって、
でもそれらをつい捉えてしまうような方法でやってくるところが、本当に面白かったの。

乗り越えれば、ちゃんとサポートがある。
受けとることに罪を思ってはいけないことも、課題だったし。

この自分の課題を乗り越えられなかったことの中に、お代が払われないことを良しとしたり、結婚パーティを止めた経験があり
そこには自分より人の思いを選び、人を救うことを選んだ課題があった。
乗り越えられなかったことも、時間をかけて乗り越える課題となって、またありがたかったり。

自分の中心にある大事な課題を、サポートは確実に捉え、突いてくる。
そしてこのサポートを受けとれなければ、課題は乗り越えられないし、むしろ辛い経験だけが残ることをつくづく教えられた。

だからこそ自分にとって何が一番乗り越えるべきものか知ることが大切だったし
そのことがサポートの可能性を広げる重要なきっかけであった気がする。

家族とのことなども含まれるかな。
夫婦だけの暮らしが、わたしたちにとってとても大事な時間だと理解したこと。

自由に大切なものを知っていく日々が重なる今と
大切なものを、他者を守ることで失わせていた、かつてがあったこと。

もし家族が増えていたら、自分より他者を守り続けた時間を持ちすぎて、壊れていたかもしれない。
家族のいない人への理解や里親制度の理解は今程深まらなかっただろう。
夫婦の結束もここまで深まらなかったんじゃないかな。
子どもを持った方がいい、子どもがいないことはよくないと
言う人の心へこそ、配慮を思う今。
自分は正しい、あなたは間違ってると声を荒げる人は必ず、
生い立ちや世界観にアンバランスがあることを知られたこと。
何が、その人にとっての世界か、成長か、サポートか、
人それぞれの確かな世界を
心から信頼できる今があることへの感謝。。


そして今年。
信頼できる世界の広がりは、どんどん大きくなっている。
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シャスタとセドナ旅も、思いもしなかった手当が後に入った。
13日間過ごした旅費準備費はすぐに(二週間くらいで)戻ってきて。。
本当に予測してなかったので、びっくりしたけれど
そういった場所であることは信頼できているし
そこに行けたというだけのこと。

呼ばれた場所に行けて、大丈夫、と信頼させてもらった機会に
あの場所たちも存在してくれたありがたさも、感じられた。

とはいえ気質はなぜか贅沢を求めていない。
こういう信頼が起きても、全くがんがんに求めることはないけれど。
昨日はそんな中で珍しく
今年の夏の旅の計画がまだできていないことに、ずーんとしてしまって
見守ってくれる人はいる?と思わず天を仰いだら
そのときたたんでいた洗濯物のTシャツにsaint francisとあって。
わー、なんか手に持ってるわ!と思って笑
その人を調べたら、すごく自分たちに合ってる人だった。
見守ってもらえてる信頼を持とうと思えた人^^
先日シャスタからの移動で泊まったサンフランシスコの、名称の由来にもなった人。

聖フランチェスコの思想について、Wikipediaから抜粋しますね。
人間にとって大事なのは愛と平和のみと説いた、清貧と平和の徹底した思想を持っていた方のよう。
動物とも会話していたそう*
なんか近しいものを感じるわ…

フランチェスコの思想の性格をよくあらわしたものに、彼の死の床で歌われたという有名な「被造物の讃歌」がある。この讃歌は、「もの皆こぞりて御神を讃えよ、光のはらから(同胞)なる日を讃えよ」という著名な一節から「(兄弟たる)太陽の讃歌」と呼ばれることもある[125]。そこでは太陽空気大地を「兄弟姉妹」として主への讃美に参加させ、はてはまでも「姉妹なる死」として迎えたのである。フランチェスコ自身の内部では、清貧と自由と神の摂理とが分かちがたく結びついており、この三者が調和してこそ、簡素で自然で純朴な、明るい生活を営むことができるのであった[126]。こうしたことから、彼は西洋人としては珍しいほど自然と一体化した聖人として、宗派を超えて世界中の人から敬慕されている。




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by arica_11 | 2017-07-28 17:02 | nekkonoarika | Comments(0)

線引き、領域

この人は誤解をする人だと、レッテルを貼られる関係を、肯定していたからこそ起きた出来事は
他者からレッテルを貼られることを良しとしない人には起きない出来事であろう。
またはレッテルを貼られても線引きできたり、気付かないなど、自分が確立されている人には起きないのだった。

他者を誤解する人だと定めるその人の世界には、自己中心の、周りだけが誤りを引き起こす世界が成り立っている。

他者は正しく、自分が誤ってると思い込んでしまう人の世界では、他者からの否定の投げかけは強烈だろう。

そのどちらにも、本人の真実は定まらず、他者に委ねている。

わたしたちは本来自分の真実のみで成り立っている。
その真実は他の誰にも侵せない、唯一無二の独自のものだ。
それぞれが全て違って、それぞれが全て正しいような世界に住む。
違うはずなのに、皆共通の支えと目標を持っている。

その大いなる背景と居場所を知らなければ、いつまでも他者は自分の世界の住人で在り続けてしまう。
異分子でも排除するものでも否定も肯定も、何ももたらせない他者の領域。
その域に踏み入れとやかく指図できてしまう行為は、とても無意味だし
その域に動かされてしまうことも、意味を持たないものだ。

答えは自分の中にしかない。
自分の中を見て他者を動かすなどという意味のないことが時に起きてしまってるのなら
そこはもういい加減見直していかないとと思うのだ。




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by arica_11 | 2017-07-22 06:01 | nekkonoarika | Comments(0)

線引き、見直し

自分の思考に対して、他者から誤解だ訂正しろと言い渡されたとき
誤解を創り出してるのはその他者の世界観であることと
自分の解釈への信頼を、線引きするのは大切だ。

他者が、人の考えを本人に訂正させようとすることは大きな暴力であることを
理解していない世界はまだまだあるのかな。
学校や会社でよくある方法だからだろうか。

人の考えが自分にとってどんなに正しくなくとも都合が悪くとも
その考えは他者の持ち物で、自分の考えと同じに修正はできない。

相手は誤解する人物、自分は正しいという色眼鏡が、自分で誤解のある世界を導き、創り出してる。
自分の思考が招いた世界観であるだけ。

そして誤解に見える相手の考えは、相手が導きだした真実。
そのことをジャッジなんてできない。

誤解だと思うなら、その人はなぜその解釈に結びついたかを考える自分の思考があるだけ。
その際相手がばかだから間違ってるからと卑下するなら、それも自分が産み出した世界観。
自分にとって都合のわるい相手の解釈は自分が導いて引き出したこと、そのことから目を逸らしていたら
誤解も見下しも自分から離れていかない。

そこには必ず自分の原因がある。お互いにとっての必要性がある。

わたしも確かに誤解されて苦しんだことはあるけれど、人ばかりを信じすぎるとか、自己卑下や自分を大切にしていなかったとか、はっきり言葉を言えないとか、いくつも引き寄せる原因はあった。
誤解は、相手が自分の持ち物のそれらを受けて、引き出した「答え」だ。
人へ訂正しろと言えば暴力を孕むのも知っている。人の誤解を真に受けることもない。

誤解されるような関係を築いていたこと、誤解される場を構築していた原因がただ、自分にあることを認めることが
できることなだけだ。

そのことを見ずに
相手ばかり誤ってると投げかけられるのなら
いつまでも他者は自分を誤解する者という色眼鏡を外せないし
自分の改善はない。

自分がより良くなってゆくためには、他者を訂正させる行為を止めなくてはいけない。

自分の原因、自分が創り出した世界であることを
認めないことには、始まらない。












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by arica_11 | 2017-07-17 20:32 | nekkonoarika | Comments(0)

心地よい層に身を置くこと

理解に苦しむという状況になったとき
自分の価値観とは違う層に入り込んでしまってるので
そんな時こそ自分が居て心地いい層の方へすぐに戻って、心地よさと一体化するイメージを持つことは
大事です。
理解に苦しむ場所に居続けることはないということ。

その層に居る間、ストレスが身体を蝕んだり、罪の意識に囚われてしまうなら
不純な汚れた層に統合されているということ。

そこに居続ければ、心身に毒が回ってしまいます。

だからこそそこから抜け出す意識を明確に持つこと。
自分にその層に巻き込まれる受信体があることも、そこに入っちゃう原因です。

それが、自分の中にある罪悪感や不安、恐怖心、無価値観、自己否定。
主に、子どもの頃に捉え、植え込んだ感情であることが多いです。
機能不全家族育ちや、モラハラパワハラなんかに合うと、その経験が抱えてしまうきっかけとなってることがあります。

ネガティブを持っていると、ネガティブに触れた時に感応して、
そのまま心身がその層に吸い込まれたりしてしまう。
だから
現在の自分の中には、もうネガティブを囲い込む必要がないことを、許してあげること。
ネガティブの層にいる必要はないことを、認めてあげること。
大きくなったわたしたちはそれだけの力がありますよね。

自分は悪いとか、自分はダメなんて思う必要はない。だって実際は
誰だってどんな方法でもそれぞれがそれぞれらしい使命を持ち、目的あって、きちんと人生へ立ち向かってるのだから。
これはアートセラピーで可視化できる世界観です。
良い悪いの判断の全くない独特を、誰でも背景に持っています。

もし外部が良い悪いを決めつけてくるなら、その先方に問題があって、それを自分で見ないようにするための投げかけです。
ただそれだけのこと。
先方の問題を見ないようにするための他者への投げかけや攻撃に、取り込まれることはない、ということ。

自分の中に感受するネガティブがなくなれば、まずネガティブに思う気持ちが離れてゆきます。
その次に先方の問題に気付いて、心配し、思いやりをかけようとする優しさが動きますが
優しさや思いやりを持った時に、心地よくないなら無理してること。
心配も、ネガティブな思いです。
心配を揺らすことないし、
心配を揺らしてきたり、優しさ思いやりを欲しがる相手の「欲」に気付くのも大事。

それでも心優しい人は(弱いとかトラウマがあるとかじゃなく、ここは気高く優しい心根を信じて)
人を助けようと動く気持ちが、相手のネガティブに投げかけに触れたときに作動しちゃうことも心に留めて
相手の欲の層に取り込まれず、自分の守られている心地よい層から離れない意識を保ち
心地よい状態から、決断してゆくのを忘れないこと。

自分はいつだって、軽やかでなんの不安もない、人を動かしたり影響を与える必要にかられない「個」の場所から
判断してよいことを
信じてあげることが大切のようです。

他者を動かして心地よくなるならそれは個ではなく、依存だったり、甘えだったり、攻撃だったり暴力だったり。
もちろん人同士は多少依存しあって甘えあって、共同で生きてるのだから、全く他者のネガティブを感受しなくていいことはないと思う。それが一部でも助けになるから。
優しさだって絶対持ち合わせてるから勝手に身体が動くのも、あるはず。

ただ、無理しない、心地いい自分だけの決断をしていい許可を、自分にしてあげることは
誰も壊さず苦しめず、影響を与えないという意味でも、大事なんだと思います。

皆が皆の個性を認めてあげられる社会になったらいいですよね。。







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by arica_11 | 2017-07-11 00:38 | nekkonoarika | Comments(0)

視界を建てる

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最近あらゆる面での勉強をさせてもらっていて
視野も知識もぐっと広がりました。
そのうちのひとつに音声ガイド制作講習への参加があります。

映画「光」でも題材にされた、視覚障碍を持つ方のための音声ガイド制作の講習会を
シネマチュプキタバタさんでは定期的に行っています。
代表平塚さんの軽妙かつ美しい言葉選び、朗らかさ、謙虚さ
また果てしなく小5な(笑)
純粋な奉仕の気持ちと、自我を抑えた利他多き人柄には、
頭が下がるし、尊敬しかなく。
一緒に前を向ける今があるのがありがたいです。

ガイド制作の先駆けとなるボランティア団体シティライツを立ち上げた平塚さんは、当時20代。
01年だから16年も前のこと。
わたしはちょうど、絵を勉強し直そうと、絵の塾に入り直した頃です。
そして今、映画館支配人の佐藤君も20代で、活躍しています。
だからといって、彼らは自分たちをすごいとも苦労したともアピールせずに
ただ謙虚に目の前のことを人と共に産み出してる印象。。

その姿を見せてくれる方達こそ、これからを創るのだろうな。。

わたしも謙虚に…?
今できる知識を広げる学びや、心を中心に備える芯の確保に
日々取り組んでいます^^

知識と芯がここまでなかった頃、意識されてない頃は。

何かあったときの対処を自分の経験則で行い、弱いのが感じられて。
とにかく揺れてしまっていて。

それはもちろん今繋がってるみなさんも同じのようでした。

だけど、揺れることは自分の中のものだと、ぐっとそこに集中したり
経験則を超え、より揺れない意識を手に入れようとする行動を
わたしたちはすごく大事にしてるようで
そこが共通の部分のようですね。。

揺れるときというのはどうしても、他者との関わりがきっかけになっていた過去、
今は知識と芯でカバーできることですが、
当時も、揺らす意識の感受が作動してただけのことなので、わるいことでは全くなく…。
動かされないわけがない、自分は選ばない冷たい言葉には
本当はその背景の苦しみに当時ももちろん気付いていて、
それが今は更に、知識と芯がより高まり
その苦しみを立ち上げて可視化することができるようになった感じです。
ほんとうにありがたい経験でした…


だって子ども時代の、大病のあとの金食い虫の言葉や罰当たったの投げかけなんかは
今の知識でも、子どもはショックを受けないのは難しいことだと思うし。

依頼されたお仕事が完成したタイミングで
「あなたはお金のことばかり考えていてみんなあなたを間違ってると言ってる笑、いつか言ってやろうと思ってたんだ」と言われたら、お金への罪悪感が揺れないのは難しく、
自責に思わないことを、作動させにくいのもわかるし。

知人もいない九州に住んでる頃の、大切な結婚式前の
「栃木の祖母が危篤で大変、結婚式はやらないで今すぐお見舞いにいかないと後悔するよ」の言葉は、祖母を心配し本当に衝撃だったし
すぐに栃木まで駆けつけたら祖母元気で、そんなの誰もが力が抜けちゃう。。
更に心配だからというその人が最近お見舞いに来てない状況を聞けば
心ではちゃんと呆れながらも、ストレスは身体を貫いてしまったり。

ガードをしておく以前の、
純粋な思いや当たり前の誰もが持つ人への思いやり、身体への心配心を
揺さぶるような
いじわるな投げかけに、揺さぶられない方が難しく、
なんであんなに大切に思い、優しさや思い遣り溢れる場で、そうなってしまうのかも一見不可解で、
理解に苦しむ…
というのはあって。。
それでも芯では、相手の問題をこちらに投げかけてるだけのことと理解できてるからこそ、受け取っていたり
いじわるを言うしかない心理に更に思いやりが動かされたりして。

受け取った揺れを、更に大きな強靭さや知識が包めばいいことを理解し
数年かけながら、補修工事したのではないかな。
それこそ全体をカバーするほどの大きさで。
建築物と一緒ね〜

新しい構築はそんなすぐにできるわけないです。
ほんとに建築物と一緒。建築の勉強があって、資格さえあった上で
設計図があって、ブラッシュアップや予算計画などがあって材料や制作者の発注があって、やっと取りかかって
更に造り上げるのだから。

わたしたちの心もそんな段階を踏んで造られたって、その方が充分な安全策を取れるのだから、
いいのだと思います。
日々、知識も技術も進化する面白さも体感できるし。

想像の建築物は、すぐに取り込める技術と知識とカバー力があるから!
新しい知識は、きっとまた他の方のお役に建てる、気がしてます*

音声ガイド制作者ディスクライバーとは、描写する人という意味。

音も言葉も思いも、いつも絵のように描写していたい自分には
この作業も、合ってるような気がしています。楽しみだな。



















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by arica_11 | 2017-07-10 20:59 | nekkonoarika | Comments(0)

6月22日 19時前後 代々木公園にて

7月に入ってぐうっと軽くなり。。
夏至に富士山行けて、新月にどきどきして
6月いっぱいは胸が痛かったけれど、突然軽く。
不思議な7月^^

そして、なにやら二極化にどーんと入ったと
感じざるを得ません笑
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6月22日、18時45分くらいから、空はピンク色に染まった。
慌てて屋上に行って、ずっとその色に身をゆだねてた。
あまりにもピンクで、夕陽とは反対側の代々木公園の上空に天使雲があって
お母さんの色だと思って、ずっとずっと色に包まれていたの。
19時15分くらいまで^^
荘厳で優しく柔らかい、あたたかい夕焼け。
美しい景色は、吸い込むとチャージになるし
身体へとても良い効果があるから。
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ピンクの次の日に
小林麻央さんの訃報を訊き。。
そのピンクの時間が、旅立った時間だったということもあとから知って。
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ファンというのではないし、すごく気にしていたのではないのに
わたし少し海老蔵さんを責めていた。
あんなことあったから胸を痛めたのでは?と。
そうしたら夢を見た。「どんなことをしてもどんなことがあっても好きだった」と。
言われてしまった。。
そして看病する方の何もできない罪悪感、わたしもちょうど同じ頃感じており
2人の、愛情と罪悪感と心配と愛し合う気持ちの、なんて融け合ってお互い慮っていて優しいの?を
妙に深く、受け取った気がしたの。

その数日後、彼らとわたしたちの居場所もほど近いことも知り。。
天使雲は、たしかに彼らの上空にあって。

日本中世界中の人がきっとそのお母さん天使を感じてると思う。
残された方の罪悪感や辛さを知ってると思う。



そしてそんな彼らが癒されることを怒る人の、心が「人の分」から逸れてることも
感じられるんじゃないかな。



わたしも旦那さんのトリップで左胸に炎症起こすという不思議な状況になってしまった。
それくらい、心の傷は身体に影響することも改めて知った。
ハートが本当に一瞬で痛み、まるで打ち抜かれたみたいになった。

そのことを知られて本当によかったの。
そんなに傷付いて迄愛せることのすごさったらない。

家族のことで傷付いた人、心ない言葉で傷付いた人の痛みを身体で感じて
そして自分も同じく現在でも過去でも感じた胸の痛みを抱えていたことにも気付いたけれど
相手を否定したらそれはもう、そこにあるのは自己愛でしかない。
怒りに沈んだら、それはもう愛から外れている行為なんだよ。

心が安心して佇む世界は、あのお母さんピンクの中。
愛を持って見守る、人の傷みこそ知ろうとする、優しい光色。
その光に統合されて一体とされてしまうのが、わたしたちにとっては何よりもの安心と休息と充足だと思う。

同時に読んでいた「チベッタン・ヒーリング」の中には
「意識が純粋で清らかな質と統合されればこの土台から仏陀が現出する、
不純で汚れたものと統合されれば苦しみを背負った生きものが現出する」
とあった。

苦しんでるとき何に心が統合されているか、
だからこそ抜け出して手放して、元々ある美しい世界の方、清らかな質の方へ身を委ねることが
大切なことも、深く知られた。

二極化だからなのか、闇の方の世界観と感じる思いや行動は、まるでベルセルクという漫画の中にいるトロールにしか見えなくて。。💦
最近、親友と言いながら、愛する夫と言いながら、嫌われたくないと言いながら
人を責めたり見下してる人たちがやたら目立つでしょう?
人なのにトロールのような発信に、あぁ〜…と思っていたのだけど
それは汚れたものに近付いて一体化しちゃうことを拒むイメージや、
その状態への注意のイメージだったの。
人は関係なく、自分への注意。。

怒ったり苦しかったり、ネガティブの闇の中にいたら、
自分が統合されている方は、人の心の欠けたトロールのいる世界!
だと気付けたら!笑
トロールから離れることにはもう、罪悪感も申し訳なさも感じなくなりますよね^^


わたしたちが元々居た場所、還るべき場所は、
あのあたたかい母性のピンク色のある世界。
愛情を交わしあう、感動ある、天使が浮かび上がった世界の方!

自分が、苦しさ、辛さ、罪悪感、恐怖、否定心などネガティブなものに包まれていると思ったら
汚れたものとの統合、人間の心じゃないものと触れて心身が取り込まれて統合されちゃってることに、気付いて
すぐそこから抜け出すイメージをしてみてほしいです。
相手は関係なく、自分で統合したことがポイント。
自分のイメージで自分の居場所は作れる。自分の居場所で、自分の感覚は決まる。

自分がすでに染まってしまってる、すでに自分が投影し目にしている闇に
気付くことが大切です。

愛と統合されていましょうね。

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by arica_11 | 2017-07-05 07:50 | nekkonoarika | Comments(0)

描き留めたかったのは

6月の新月の、大切な人のまぶい抜けにより笑
心はまだまだ揺れたし
過去の揺れの在処を知られた。
しつこく掘り下げてごめんなさい。
ずっと、胸に仕舞われていたり感じないようにしていた感情。
まだあったんだねって、新月は教えてくれた。

自己責任だとか、自分で決めることでしょという意見もあるけれど
投げかけに対してどう思うかだけが、自分の領域で
投げかけの意図までは干渉できない。
人にされたのでなく、自分で決めたのだというのはわかってる。
ただそこにはもたらされた意図や思いもある。
その意図を、捉えなくていいということ、
捉えないことに罪悪感を持たないでいいことを、
書き記したかった。

そこにあるのはただ自分の思いだけなのだけど
もたらされることには意味はある。
まだこのことで動くの?というお試し。。

そうやって訓練するように、自分に戻って行ったり、意志を固めていったりするようです。
意志の中にまた、人を助けたいとかそういった愛情があるなら、自信を持って。

小さな頃に人の感情を読まないと生きにくかった人は、その能力に長けてる分
人の分を読まないで自分をたてるのに慣れてない。
自分を押し殺して迄助けてしまいがち。
読んだとしても囚われないこと。
囚われずに、自分の意志にただ気付いてゆくこと。
新しい価値観をぐるりと動かして多用して、自分を大切にされてほしい。

人の意図として、自分の思い通りに動かしたいとか罪悪感を感じさせる言葉などは単純に暴力。
どんなに良い言葉で言い訳しても、そこは揺るがない。
暴力を捉える必要はない。
すさっとかわして、感じないでいてね。
そして自分を守ったら、絶対に多くの場所からまた守られる。
自分と人を守ろうとするものへは、本当に大丈夫が働く。
壊そうとするものは、大元が何処かから壊される。
同じバランスで世界はきっと成り立ってるのだと思う。



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by arica_11 | 2017-07-04 10:00 | nekkonoarika | Comments(0)

奇跡を教えられたこと、サポートを信じられたこと

エンパスと指摘され。
そうか〜と。
だから他者の深層心理を捉えてしまうのかもしれない。

アートセラピーのときはでも、案外この力ではなく
もっと上を開放してるような方法で携わるので
不思議と自分の感覚は捉えない。
自分の考えからお話しすることはなく…
そこは徹底してるかな。無意識なのだけど。
いつもどこかに潜む、人を見守る何かが、その方を包む気配を感じさせてもらえるのは
すごいなーと思うし、毎回感動する。

人は必ず守られて、助けられてる。
物事は、自分にとって抜群のタイミングでやってくる。
必要なときに!

チャクラを見られるんだ〜と気付いたのも、人のお陰。
胸を痛めることを知り、過去の事までわーっと出てきたのも。

旦那さんをヒーリングしてくれたと思った方が書いたFacebookの日記、
コメントを残すと、消されて見られなくなっちゃった。
わたしたちに見られると困るような、
わたしたちの個人情報がそこにはあった。
わたしが何もできないと書く言葉も。

でもね、その方がその日記でご自分のお客さまにアピールできたなら
それでいいんだよ。
わたしたちのことを書いたことが仕事を増やすような機会になれば、いいんじゃない?
わたしはその方が言った、寝不足でハートチャクラが固いという言葉から
自分の認識を信じられるようになったの。
寝不足ではなく、ハートチャクラがむしろ開いてた状況や、頭頂部の入替だ〜って思ったこと、
最初は見誤ったかなと思ったけれど
日記のことにより、ああ、その解釈間違ってなかったと理解できた。
本当のヒーラーさんのお仕事のことを、知られた。

そのために、表明してくださったことだし、
その方のビジネスのために人助けをくださったのなら、全てはよかった。
お互いね。

ただ胸は、まあ、痛んでしまったんだよ。それで気付いてゆく。
まだまだ胸の中に、悲しさや揺れが眠っていること。
この出来事で、過去の事が現れて、相手のプラスのために動けていた事実を理解し、
それでいいかと、認識できた。

お代をいただくタイミングで、別のことで怒られる気持ち、
そのタイミングだからこそ罪悪感を感じ辞退したこと
でもそのお仕事が可哀想で、お金はいらないので代わりにお仕事は皆の見える媒体に載せてねとお願いし叶わなかったこと…なんかも思い出したり。^^
そのお仕事のデザインは見る方が褒めるほどお客さまには喜ばれていたのに
救われずどこかに消えてしまった。
役には立ったけれど、誰にも守られなかった、本当に可哀想な事をした仕事だった。
でもその、役に立った方を、見られたらいいのだよ!
それが一番したかったことだったんだ!
お代は心身の安全のために入れていたガードなだけで
一番大切なのは、お役に立つ事だったし、それはしっかり叶っていたの。
お金迄発生しないほどの献身ぶりで笑

もちろん。ガードを失って、ものすごく体調を崩したし、まだまだ傷は残るほど。
それでも、大切に行った一番したかったこと、頑張ったことがあったからこそ
大切なものだけが循環し、大切なものだけが戻ってきた。
この出来事で、理解できたんだ。

人には守られなかったしむしろ壊されてしまったほどのお仕事だったのに
何処か遠くの大きな場所では、彼らはちゃんと守られて、助けが欲しいときに確実に戻ってきてくれた。
奇跡があること、そこから理解できるようになった。
その年は循環のものすごさを知った初めての年だったんじゃないかな。

辛いことも苦しいことも、そのとき真摯に、本当にしたいことを一生懸命取り組んでいたら
全然、心配要らない。
奪われたように見えても消えたように見えても
しっかり潤いや知識が戻ってくる。巡ってくる。
その量さえ等しい!

先日のトリップ事件は、次の日にもうわたしへの学びはかなり大きなものに。
どんどんスピードが速くなってる。

そう、胸は痛んでしまったり、傷ついたりはするけれどいつだって、
ほら、まだそのことで痛むの?傷治らない?って問いかけられるのが、出来事なんだよ。

はい、もうわかりましたよー
確かに一度に2つ解決しましたよーって
遠くへ投げかける今日この頃。








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by arica_11 | 2017-07-03 09:39 | nekkonoarika | Comments(0)

ただ、今確かにあること。

マーク・ザッカーバーグ色って、マーク・ザッカーバーグになったのではなく
目の色。。マーク、目の色すごいんだよ…宇宙のひとみたい。。
旦那さんも一回飛んで戻ってきてから何かを知った目の色 笑
さて、実際はどうなんでしょ。


お代のことを書くのは、お代は欲にもう見えないから。
人同士の安全を守る、間に入ってくれる盾とか生薬のようなものに感じるの。
ただお互いの苦しさや負担を、吸い取ってくれるもの。

だからとても大切な、優しい存在。
御守りとか、日々のご飯とかと同じもの。

そんな風なものとみんなが捉えられたら、優しく扱われるのかもしれないね。

そんな思いを持つ中でも、前述した「こっちだって赤字だったのだからお金のこと考えるな」と怒られたときバランスを崩したのは
その大事なものの扱われ方が悲しかったのもあるし
お仕事量に対してプラスになるほどのやり取りをそのときしていなかったからというのもあった。すでにお互いのことを考えた、優しい取り扱いをしていたときに起きた出来事…(決してお金は欲深くは扱われていなかった事実。それはお友達仕事だったからだし、親戚の方がたまにお小遣いでくださるくらいの額は、受け取り過ぎと、誰もが思う額ではなかった)
その状況でも、タダにしてほしいという力が感じられたり、タダが当然という大声が作動するのを見て
脅しのように感じたりだとか
相手はかつて赤字になってまで準備してくれたのだから…という申し訳なさが動いてしまい。

今も同じことを同じ方法で言われたら、そう一瞬感じるとは思う。
だけど差し出し方が違うだろう。
かつては脅しに感じる共鳴、罪悪感の共振を持っていたけれど。
もちろん相手もそう揺れると知っての言葉使いだったと思うけれど、
その言い方でその文言で伝えれば、相手が申し訳なさや罪悪感を持つのは予測できただろうけど。

今は逆に相手の怒りを聴いたなら、助けを素直に差し出せる気がする。
そしてその方法は、それで最後。
自分が甘えられる関係を築いてしまったことを反省して
そんな言い方を受け取る立場になったのを反省して
自分の中が何に揺れるか教えてもらった機会に感謝して。
(だからもう起きることもない出来事になっている。)
今は、要求に対して、脅しとも罪悪感とも、恐怖心も損得勘定も動かず
ただまっすぐ赦しや助けを、差し出せるように思う。
それがお金とは限らないけど。
助けない助けを送るかもしれないけど。
共依存にならないように。

実は当時も、助けのために…と捉えている気がしていたけれど
全然足りなかった。何年も、自分の仕事を大切に扱えなかったことを、残念に思ってしまった。
今は、ただ人を助けたいだけの感情があることを、やっと知られた。
それがただあって、そこから動いていたことでもあると、わかった。
自分のことより人を助けようと先に動くのは、弱さやトラウマからではなく、本望だった。
その本来の思いをずっと信じられなかったことが、ずっと解消できなかった理由だった。

脅しのようなものに出会ったとき
罪悪感を揺らす感情に出会ったとき
それを作動させないことのできる、自分の力と
その存在を知った上で、手助けしたい本来の気持ちと
同時に持っていることを知られた。
その信頼は、限りない安心だ。

わたしの中に安心感が足りなかったから起きた出来事。
ネガティブを持っていたから教えられた出来事。
優しい取り扱いも、人によってはレベルも違うだろう、そのことに善し悪しはないのだ。
物事の意味は自分が付ける。

かつての捉え方を悪いものとは思わないし
今変化しても、同じく、善し悪しでは捉えない。
ただ、このことで安心が増えたのは、確かなことでしかない。
安心できる仲間との居場所を構築できるようになったのは、確かなことなのだった。













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by arica_11 | 2017-07-02 19:14 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


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