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シフトチェンジ

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富士山パワーの身体への影響、旦那にもキター!

旦那さんはクラウンチャクラ総入替です*
本当にびっくり。。
一瞬まぶいが落ちて、運ばれて。
その落ちた顔を見てわたしは胸の共振の負担があり。。
今まだまだ快復中なのは、わたしの方。

旦那の方は、目の色が変わって(マーク・ザッカーバーグ色だ笑)
安定して力強くなりました^^


共振が起きたときに、また不思議と過去の負担も理解でき。。

必ず何か起きた時は、明るくなって、勉強になる。
その都度強くなってゆくだけです。

何度か書いてるけど^^;過去の「こっちだって赤字だったんだ、だから主催者は赤字が当然だ」という言葉に、
わたしお代いただき過ぎたのだね、申し訳ないとずっと何年も思っていたことについて…。

ふとそのお代を決めたのは先方だ。という単純なことを素直に受け止められて
同時に
わたしはいつも相手が負担になることなんて求めていないことや
最初からお代の額を教えてもらっていれば、いろいろ検討できたこと、
「こんなに出せないから安くして」と言葉にしてくれたら、お互いの最良を検討できたことに思い当たり
更に
相手の「本当は安くやってほしい、この分野には払ったのだからせめてこっちはタダにしてほしい」というのを頼めない心理や
だからこそ主催者は赤字が当然と落し込んでしまった意志に気付いて。。

自分で決めたことを、自分で負担に思ってしまい、
更にうまく取り扱いができないから、他者に同じ状況を押し付け
気持ちの負担を解消しようとした出来事だったのだと。

わたしは赤字が当然とは思わないけど
「あなたはお金のことばかり考えてる、間違ってる」という言葉で怒られると、そんなこと思っていないからびっくりして
確かに過去にいただいた自分のお代があったため申し訳なく、
その時のお代は辞退していました。(怖くて)

相手が赤字になったように、わたしも赤字になることは、
相手はほっとしただろうし嬉しかったと思う。
またわたしがお代をいただいたことに罪悪感を持つことも、
相手が自分で決めたことを見ないで済んで、安心したんじゃないかな。
更に「お金払いたくない」と言葉にしないで済んで、プライドも保たれたんじゃないかな。

すべて、相手にとってよかった状況を差し出せたの
今は、自分にとってもよかったことに捉えられるようになりました。

本当に純粋に助けることを選んでも、必ず循環があるから大丈夫だと、理解できるようになったから。

無理してでも助けてほしいの訴えには損得勘定も動くけれど
本当は助けても、巡り巡って助けられる。
それがすぐに見えないから不安になるけれど
損なんてないから大丈夫だったの。

あのときの罪悪感は、すべて相手のものに替りました。それは、その時だけでも人がその人の求める方法で、助かったということだったの。
今はそういった助け方はしないけれどね。。当然ながら本当の助けではないから。
人に怒りや否定をもたらした上での助けを求める行為では、無理矢理助けさせられるような状況になってしまって
喜んで助けるとはならないし、助ける方は傷付きながらであることも多く。。

それでも人助けには変わらないので崇高なことに思うの^^

人へしたことは、今度は戻ってきます。
上記の方法が他者に対して崇高なのか、暴力なのかは、自分が別の人から受けとるから、わかります。
どんなやり方になっていたかは、自分が経験してわかるはず。

わたしはこの経験で、ますますただ、人助けが選べるようになりました。損得勘定無く、愛を込めて。
それは、同じ思いを持つ方との出会いを作り、環境は朗らかであたたかく、優しく変わった気がします。
何かあっても勉強と捉えられ、
前向きに見られるだけになったし^^
そして感覚の違う方はすぐにそのことが表面化し、別の道に進んで、どちらにとっても安心です。

自分の中の明るさ、人を助けたい素直な気持ちに単純に出会えた、当時はすごく苦しかった出来事は
こうして時に、「これがあの時の本当に起きたこと、本当にあった気持ちなんだよ、ほら、大丈夫」と教えてくれる機会を招いてくれて
日々、ありがたかったと感じるのです。











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by arica_11 | 2017-06-29 21:05 | nekkonoarika | Comments(0)

富士山

夏至の日に向かって、初めて富士山少しだけ登山しました。
山開き前なので入れないと思っていたら、数人の登山者、そして気軽に5合目から6合目までは歩けるのね。。
夕刻迫っていたけれど、夏至なのでずっと明るく。
普段なら引き返す時間だったけれど、ウェルカムな雰囲気に、6合目から先も歩いてみると…

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こんなすごい景色が待っていただなんて!

富士山はシャスタ山に似ていて。
石も、滝も、風穴もすべて
同じ雰囲気で、共鳴してるかのようでした。

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シャスタとのつながりで、今回初めて行きたいと思った富士山だけど
毎日見ている山なのに不思議と訪れるまで時間がかかったのは
まだ準備ができてなかったからなんだろうな。。
帰宅後すぐに急性胃炎になったのは、セドナに入って一時間で急性胃腸炎になり、すぐ治ったのにも通じ…
ものすごい浄化でしかない力。(苦しい中それはわかるんだけど苦しかった)
お腹の辺りのパワー総入れ替え。
すごくよくわかるの、その理由が。
お腹は自尊心とか意志に関する場所なんだそう。
例えばこんな話も参考になります。↓


富士山に身体を横たえていると、お腹の辺りに力みなぎるのがわかります。
ずっと何年も、ここの力が弱かった。
怒る人が怖かったり、ころころ感情を変える人苦手だったり。
自分にはこう見えるから許せないなどと怒る人の言葉を受け取って、その見方はその人だけのものなのに、責任を持ちすぎたり。
自分のここの力の弱さが、他者のそこと共鳴してたんだと今はわかって、腰を据えられた。腹が据わった。
意識はかなり今は、以前に比べて支点を持てたような気がします。
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溶岩からはわんわん音が鳴っていました。
静かで誰もいない、風の音だけの登山道で。
富士山の胎動だけ鳴っているような、螺旋がぐるぐる巻き上がっては下ってまた昇っての音…
なんて大きなボルテックスポイントなんだろう〜と、感動して。。セドナを超えるほど?

この山は成り立ちからして違う、命宿るように創られている山なんだろうなーと思わせるビジョンも感じました。

シャスタは雪で立ち入れなかった、パンサーメドウズ辺りできっと、音がするんではないかな。

日本にある、こんな大きなポイント、聖地。
今後ますますここには、世界中の人が力を貰いに集まってきますね。。
山頂迄行かずとも、その表面の螺旋は誰でも気軽に触れられるので。
エネルギーを頂きに、山に手を翳してみてくださいね。。

富士山の胎内も入ってきました*

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by arica_11 | 2017-06-23 06:09 | | Comments(0)

心のエネルギー、質量、光のこと

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赤ちゃん星が生まれる画像が撮られたという。
無であるはずの箇所から光が放たれ、エネルギーと質量が可視化されてゆく。

わたしたちの持つ見えない心や思いは、こんな風に目に見える光は放たない。
もしくは、もうすでに心は光に溶け込んでその一部になっているのかもしれない。
エネルギーや質量が光に常々変換されていってるから、形なく見えるだけで
もしかしたら常に常に、わたしたちは心というエネルギーを放射して、光に換えているのかもしれない。

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人から放たれる光は、高周波であり、優しく、害にならないあたたかさをたたえて
人を包み守るような光線になっていたらいいと願う。

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時に光線は、身体の内部を破壊する。
細胞を破壊して、再生しにくくさせる物質も、確かにあることを昨今知った。
心の光線にもそんな物質があるのならそれは
人に罪悪感や恐怖心、恥ずかしさなどを与えるために放たれたもの。
それらは充分、攻撃波になるかもしれない。

全ての人が、そんな投げかけに当たらず、細胞も心の内部も守られてほしいと願う。
投げかけを捉えても、守られすぐに解除され、何も心身に残さず受け取らない方法を身に付けられたらいい。

そして全ての人が、内部から他者を攻撃し破壊するような光線を放たないよう、自らを律することができたら良いと思う。

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攻撃波があるのであれば、それは投げかける本人が基でしかない。
渡そうとする人が、基でしかない波。
相手はその起爆装置も、材料も、決して持たない。
そのことを知っていないと言い訳をしてしまう、
敵がいたから、教えようと思ったから、相手が間違っているからと。

あなたは間違ってる、みんな悪く言ってるとか、あなたは恥ずかしいとか夢が叶ってないとか、
あなたの悪い所を改善しないと大変なことになるよ…なんて
言っているその人がその人自身に感じている言葉。
その自分の弱さやみにくい箇所を知ってるのに処理できないときに、苦しい波を人に放ち
少しでも自分のことを見ないでいようと、安全で居ようと、間違った場を構築する。
それではまるで戦争のやり方だ。

助けや心配を利用した攻撃もある。「あの人を助けに行かないなんておかしい、心配じゃないのか。すぐに助けに行って!そうしないと後悔するよ」と、「人を心配して言うのだ」と口にするけれど、自分はすぐにもしばらくも会いに行ってはいない。投げかける相手に心配や罪悪感や後悔をもたらすことが目的であるだけで
自分が人を助けることは目的ではない場合。
心配や助けさえ、攻撃の材料になってしまう世界に居たら、それはあんまりな居場所だ。

もし攻撃を投げかけられる相手に選ばれても
「利用された」などと悪く捉えず、受け取ってしまったと悲観せず、壊されたと泣かないで。
辛くても悲しくても
相手が抱え込んで内部に放っていた攻撃波を引き出す助けになったと理解し
いつでも人助けをしようとしてるその心に、誇りを持って。

決して投げかけられた爆弾を、内部で破裂させないで良いことと、
すぐに捨てて良いことに、
信頼を持って!

助けたいから捉えるなんてことはしないでいいの。

それは決してできないこと。
本人が気付いて放つのを止めない限り、基から爆弾はなくならないのだから。

もし中で破裂させてしまったら、「まだ、その投げかけで自分を傷付けるの?」って自分に問いかけて。
自分で傷にするか、捨てるかは、選べるのだから!

罪悪感も思い遣りも何も持たずに、爆弾となる投げかけなら捉えないで良いことに信頼を。


間違ってると言われたら、言い放つその人自身に間違ってる今がある。
みんなが悪く言ってると言われたら、その人の居る場所が、みんながお互いを悪く言い合ってる場所。
恥ずかしいと言われても夢が叶ってないと言われても、言い放つ本人が、そんな今を過ごしてることを証明してる言葉。
悪い所を改善しないと大変なことになるというのは、一番捉えなくていい。
強烈だからこそ、言ってる本人が強烈に気持ちよくなる、そして脅迫でもある、大きな武器となる波動砲を、決して受け取らないで。
逃れられず当たってしまっても、すぐに手放していい。
その見えない光線銃に、心身を破壊されることなんて選ばなくていいんだから。

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いつだって自分の中の見えない鉄壁の守り、あたたかく強いシールドを、思い出していて。
自分は、守られている自信を、決して忘れないで。

その守りや誇りはいつだって、見えない形で毎日毎日、光に変わっているから。
いつだってどんどん自分で創って、光にしてるのだから。

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その内部から創り出している大きな大きなエネルギーのシールドと力を、全ての人が理解できたらいいなと願う。
見えないからこそ、そこにはある。E=mc2のように、質量のない心だからこそ、エネルギーがちゃんと、想像以上の量で、そこにあるんだと思うよ。


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by arica_11 | 2017-06-15 21:39 | nekkonoarika | Comments(0)

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公園でのイベントは、木漏れ日さんぽと、ひかりのお絵描き。

心身の中へ新しい風と光を通すことを願った、
植物の優しい気配に助けてもらいながらの機会だった。

木漏れ日は色となって画面を創り
太陽は優しく日陰を創った。
風が胸の中を後方へ抜けてゆき、
頭上には光が降り注いで、
土台へ深く沁み入った。
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7年の勉強時間が過ぎ、
新しい7年では、どしんと肝が据わってきた。
もちろんまだまだ状況に揺らぐこともあるけれど、その時に中の何が反応して揺らしてるのかが感じられる。
大きな外枠では、その状況を客観視してるようなの。

何もない日は、しつこく勉強しなさいと教えられるとき。
あせってばたばたするんでなく、この時間を使って知識を取り込みなさいと、遠くが言う。
気が焦る日は、自分の中を見つめる日。
何の余計がまだ中に入っているのか探って、取り外して天に上げて、光と交換するイメージをしてみよう。
大切なのは、自分の中の何かがわるいせいで、わるい結果になったのだ、だから改善に努めなきゃいけないという考えは手放すこと。
みんな誰も必要があって、自ら求めて経験をしている根源の思いを信じ
心から、結果とは学びなだけなことを信じて軽やかに。
軽やかに風と光の通る場所こそ、新鮮な風と光を通してゆく。
あの公園のように!

自分の心身を心からそのまま愛してあげることは、一番大切なことかもしれない。


河瀬直美監督の映画「光」が始まった。
音声ガイドを作る女性と、視力を失いつつあるカメラマンのお話の舞台は
昨年夏に壁画を描かせていただいたシネマ・チュプキ・タバタを運営するシティ・ライツがモデルのひとつ。
映画の中でお話しする、正子さんは、シティ・ライツのメンバーで
主人公の上司は、チュプキの代表平塚さんがモデル。


正子さんの言葉が最も深い。そして核だった。
また、絵と同じだった。。
視覚に障碍のある方の見ている世界は、わたしが白いキャンバスに絵がどこまでも広がって見えるように
頭の中にどんどん広がる空間を見てらっしゃる。
映画は、誰にとっても観るものなの。
形ない筈のものを観る私達は
だからこそ「光」の残した輝きが今も取り巻いているのも掴んでいる。

光を観た次の日、エネルギーは光速の二乗×質量という有名な公式のイメージが起きがけに突然浮かび
夢遊病者のように、より透明度の高い光こそ心の放つもの、見えなくても質量はあり、エネルギーもあるのだと
だって肉体だって光でできているとも言えるのだから、空間にあるものも形あるものも同等だと
ひらめいたように思って永瀬さんになぜか手紙を書いたけれど、
かなり好い加減なイメージすぎて、そっと仕舞った。

永瀬さんは、先日もまたチュプキに来てくださいました*





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by arica_11 | 2017-06-10 06:11 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


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