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富士山

夏至の日に向かって、初めて富士山少しだけ登山しました。
山開き前なので入れないと思っていたら、数人の登山者、そして気軽に5合目から6合目までは歩けるのね。。
夕刻迫っていたけれど、夏至なのでずっと明るく。
普段なら引き返す時間だったけれど、ウェルカムな雰囲気に、6合目から先も歩いてみると…

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こんなすごい景色が待っていただなんて!

富士山はシャスタ山に似ていて。
石も、滝も、風穴もすべて
同じ雰囲気で、共鳴してるかのようでした。

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シャスタとのつながりで、今回初めて行きたいと思った富士山だけど
毎日見ている山なのに不思議と訪れるまで時間がかかったのは
まだ準備ができてなかったからなんだろうな。。
帰宅後すぐに急性胃炎になったのは、セドナに入って一時間で急性胃腸炎になり、すぐ治ったのにも通じ…
ものすごい浄化でしかない力。(苦しい中それはわかるんだけど苦しかった)
お腹の辺りのパワー総入れ替え。
すごくよくわかるの、その理由が。
お腹は自尊心とか意志に関する場所なんだそう。
例えばこんな話も参考になります。↓


富士山に身体を横たえていると、お腹の辺りに力みなぎるのがわかります。
ずっと何年も、ここの力が弱かった。
怒る人が怖かったり、ころころ感情を変える人苦手だったり。
自分にはこう見えるから許せないなどと怒る人の言葉を受け取って、その見方はその人だけのものなのに、責任を持ちすぎたり。
自分のここの力の弱さが、他者のそこと共鳴してたんだと今はわかって、腰を据えられた。腹が据わった。
意識はかなり今は、以前に比べて支点を持てたような気がします。
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溶岩からはわんわん音が鳴っていました。
静かで誰もいない、風の音だけの登山道で。
富士山の胎動だけ鳴っているような、螺旋がぐるぐる巻き上がっては下ってまた昇っての音…
なんて大きなボルテックスポイントなんだろう〜と、感動して。。セドナを超えるほど?

この山は成り立ちからして違う、命宿るように創られている山なんだろうなーと思わせるビジョンも感じました。

シャスタは雪で立ち入れなかった、パンサーメドウズ辺りできっと、音がするんではないかな。

日本にある、こんな大きなポイント、聖地。
今後ますますここには、世界中の人が力を貰いに集まってきますね。。
山頂迄行かずとも、その表面の螺旋は誰でも気軽に触れられるので。
エネルギーを頂きに、山に手を翳してみてくださいね。。

富士山の胎内も入ってきました*

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by arica_11 | 2017-06-23 06:09 | nekkonoarika | Comments(0)

心のエネルギー、質量、光のこと

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赤ちゃん星が生まれる画像が撮られたという。
無であるはずの箇所から光が放たれ、エネルギーと質量が可視化されてゆく。

わたしたちの持つ見えない心や思いは、こんな風に目に見える光は放たない。
もしくは、もうすでに心は光に溶け込んでその一部になっているのかもしれない。
エネルギーや質量が光に常々変換されていってるから、形なく見えるだけで
もしかしたら常に常に、わたしたちは心というエネルギーを放射して、光に換えているのかもしれない。

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人から放たれる光は、高周波であり、優しく、害にならないあたたかさをたたえて
人を包み守るような光線になっていたらいいと願う。

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時に光線は、身体の内部を破壊する。
細胞を破壊して、再生しにくくさせる物質も、確かにあることを昨今知った。
心の光線にもそんな物質があるのならそれは
人に罪悪感や恐怖心、恥ずかしさなどを与えるために放たれたもの。
それらは充分、攻撃波になるかもしれない。

全ての人が、そんな投げかけに当たらず、細胞も心の内部も守られてほしいと願う。
投げかけを捉えても、守られすぐに解除され、何も心身に残さず受け取らない方法を身に付けられたらいい。

そして全ての人が、内部から他者を攻撃し破壊するような光線を放たないよう、自らを律することができたら良いと思う。

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攻撃波があるのであれば、それは投げかける本人が基でしかない。
渡そうとする人が、基でしかない波。
相手はその起爆装置も、材料も、決して持たない。
そのことを知っていないと言い訳をしてしまう、
敵がいたから、教えようと思ったから、相手が間違っているからと。

あなたは間違ってる、みんな悪く言ってるとか、あなたは恥ずかしいとか夢が叶ってないとか、
あなたの悪い所を改善しないと大変なことになるよ…なんて
言っているその人がその人自身に感じている言葉。
その自分の弱さやみにくい箇所を知ってるのに処理できないときに、苦しい波を人に放ち
少しでも自分のことを見ないでいようと、安全で居ようと、間違った場を構築する。
それではまるで戦争のやり方だ。

助けや心配を利用した攻撃もある。「あの人を助けに行かないなんておかしい、心配じゃないのか。すぐに助けに行って!そうしないと後悔するよ」と、「人を心配して言うのだ」と口にするけれど、自分はすぐにもしばらくも会いに行ってはいない。投げかける相手に心配や罪悪感や後悔をもたらすことが目的であるだけで
自分が人を助けることは目的ではない場合。
心配や助けさえ、攻撃の材料になってしまう世界に居たら、それはあんまりな居場所だ。

もし攻撃を投げかけられる相手に選ばれても
「利用された」などと悪く捉えず、受け取ってしまったと悲観せず、壊されたと泣かないで。
辛くても悲しくても
相手が抱え込んで内部に放っていた攻撃波を引き出す助けになったと理解し
いつでも人助けをしようとしてるその心に、誇りを持って。

決して投げかけられた爆弾を、内部で破裂させないで良いことと、
すぐに捨てて良いことに、
信頼を持って!

助けたいから捉えるなんてことはしないでいいの。

それは決してできないこと。
本人が気付いて放つのを止めない限り、基から爆弾はなくならないのだから。

もし中で破裂させてしまったら、「まだ、その投げかけで自分を傷付けるの?」って自分に問いかけて。
自分で傷にするか、捨てるかは、選べるのだから!

罪悪感も思い遣りも何も持たずに、爆弾となる投げかけなら捉えないで良いことに信頼を。


間違ってると言われたら、言い放つその人自身に間違ってる今がある。
みんなが悪く言ってると言われたら、その人の居る場所が、みんながお互いを悪く言い合ってる場所。
恥ずかしいと言われても夢が叶ってないと言われても、言い放つ本人が、そんな今を過ごしてることを証明してる言葉。
悪い所を改善しないと大変なことになるというのは、一番捉えなくていい。
強烈だからこそ、言ってる本人が強烈に気持ちよくなる、そして脅迫でもある、大きな武器となる波動砲を、決して受け取らないで。
逃れられず当たってしまっても、すぐに手放していい。
その見えない光線銃に、心身を破壊されることなんて選ばなくていいんだから。

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いつだって自分の中の見えない鉄壁の守り、あたたかく強いシールドを、思い出していて。
自分は、守られている自信を、決して忘れないで。

その守りや誇りはいつだって、見えない形で毎日毎日、光に変わっているから。
いつだってどんどん自分で創って、光にしてるのだから。

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その内部から創り出している大きな大きなエネルギーのシールドと力を、全ての人が理解できたらいいなと願う。
見えないからこそ、そこにはある。E=mc2のように、質量のない心だからこそ、エネルギーがちゃんと、想像以上の量で、そこにあるんだと思うよ。


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by arica_11 | 2017-06-15 21:39 | nekkonoarika | Comments(0)

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公園でのイベントは、木漏れ日さんぽと、ひかりのお絵描き。

心身の中へ新しい風と光を通すことを願った、
植物の優しい気配に助けてもらいながらの機会だった。

木漏れ日は色となって画面を創り
太陽は優しく日陰を創った。
風が胸の中を後方へ抜けてゆき、
頭上には光が降り注いで、
土台へ深く沁み入った。
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7年の勉強時間が過ぎ、
新しい7年では、どしんと肝が据わってきた。
もちろんまだまだ状況に揺らぐこともあるけれど、その時に中の何が反応して揺らしてるのかが感じられる。
大きな外枠では、その状況を客観視してるようなの。

何もない日は、しつこく勉強しなさいと教えられるとき。
あせってばたばたするんでなく、この時間を使って知識を取り込みなさいと、遠くが言う。
気が焦る日は、自分の中を見つめる日。
何の余計がまだ中に入っているのか探って、取り外して天に上げて、光と交換するイメージをしてみよう。
大切なのは、自分の中の何かがわるいせいで、わるい結果になったのだ、だから改善に努めなきゃいけないという考えは手放すこと。
みんな誰も必要があって、自ら求めて経験をしている根源の思いを信じ
心から、結果とは学びなだけなことを信じて軽やかに。
軽やかに風と光の通る場所こそ、新鮮な風と光を通してゆく。
あの公園のように!

自分の心身を心からそのまま愛してあげることは、一番大切なことかもしれない。


河瀬直美監督の映画「光」が始まった。
音声ガイドを作る女性と、視力を失いつつあるカメラマンのお話の舞台は
昨年夏に壁画を描かせていただいたシネマ・チュプキ・タバタを運営するシティ・ライツがモデルのひとつ。
映画の中でお話しする、正子さんは、シティ・ライツのメンバーで
主人公の上司は、チュプキの代表平塚さんがモデル。


正子さんの言葉が最も深い。そして核だった。
また、絵と同じだった。。
視覚に障碍のある方の見ている世界は、わたしが白いキャンバスに絵がどこまでも広がって見えるように
頭の中にどんどん広がる空間を見てらっしゃる。
映画は、誰にとっても観るものなの。
形ない筈のものを観る私達は
だからこそ「光」の残した輝きが今も取り巻いているのも掴んでいる。

光を観た次の日、エネルギーは光速の二乗×質量という有名な公式のイメージが起きがけに突然浮かび
夢遊病者のように、より透明度の高い光こそ心の放つもの、見えなくても質量はあり、エネルギーもあるのだと
だって肉体だって光でできているとも言えるのだから、空間にあるものも形あるものも同等だと
ひらめいたように思って永瀬さんになぜか手紙を書いたけれど、
かなり好い加減なイメージすぎて、そっと仕舞った。

永瀬さんは、先日もまたチュプキに来てくださいました*





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by arica_11 | 2017-06-10 06:11 | nekkonoarika | Comments(0)

ハートの時代と言う

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勉強の日々を過ごさせていただいてる。
ネイティブアメリカンの聖地へ行ってから、絵はより精度を上げて。
そうそう、シャスタという世界的に霊性を重んじるような場所では情報も多く
スーパーに3ドルくらいでチャクラの表があったので何気なく買ってみると
すーっと頭に入って、色と身体のバランスが見えるようにわかる。
そうすると絵の色の意味がより深まって理解できる。
旅は勉強に行ったようなものだ〜と思いながら、今月は不思議と更にこの面の勉強が進んでゆく。

胸の痛みと開放や、家族の分のルーツの痛みとストレス反応なんかがリンクしてわかり
解決したりしてるうちに
なんと5月24日はマヤ暦ではハートの時代に入ったとされている なんて情報も得た。
そして新月を迎え、公園でのイベントなども予定しており…

公園で行おうと思った理由は、とにかく胸の窓が開き、風が通るからだった。
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ハートの時代は
それまでぐうっと胸を閉じていた方や、愛情不足や孤独への不安を感じていた方は
開放迄ノックの時間もあるかもしれない。
開くのには痛みが伴い、それ自体は楽になることではないから、安心へ進む方法にも開かないことを選ぶ方もいるだろう。
だけど楽になること、安心することを、新しい価値観を受け入れて選ぶか、受け入れない方法で選ぶかは、自由だ。
そしてそのどちらも誤りはない。
全ての選択に、その方にとっての幸福が必ず寄り添うだろう。

それでもわたしはハートが開放された時の、風の気持ちよさや、あたたかさ、安心を
多くの人が感じる世界を願いたい。自分も含めて*
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女性のひとつのサイクルと言われる7年という時間の、前回分は、まるまる勉強だった。
ずっと書いている、起きている事象は自分の心の中の投影であることは、最近ますます理解が深まった。
相手に対して恐怖や怒りを感じるなら、それは自分の中で知っているそれらを、相手にくっつけて見ているだけだということ。
自分の中からそれらの感覚をなくせば、何も起きないこと。

今迄の世界では、多くの他者の怒りや困難を受け止め、安らぎを与える気がして言うことを聴いていたり
わたしも、家族へは甘えて、同じく安らぐような気がして怒ってしまうこともあった。
しかし人から貰うネガティブも、自分が人に与えるネガティブも
全部そこには自分の感覚しかなく
貰うものは何もなく、与えるものだって自分へのものでしかない。
安らぎのために怒りを使うなんてあんまりなことだ。

他者の怒りや困難は完全に他者の中のものだし
そのことで動じたり恐怖を感じたり罪悪感を持つのは、完全に自分の中のものだ。
結局一本の強靭な安定軸が通ってないことが揺らぐ原因になる。
安らぎとは動じない心に通る芯のものなのだ。

そういった展開図と、心への理解が随分と深まったところで、心の時代に入ったというのは
ますます、大切なものを信じられる。

大切なものは、とても単純で、とても個人のものだ。
そしてその固有のものを大切にすることが、人をも大切に守ってゆく。

他者の分を自分が解決するとか、自分の分を誰かに解決してもらうなんていうことが起きてる空間にはもういない。
そのことがくっきり色分けされて、確かに、ここ数日で新しい空間になった気がしている。

追伸
今日知ったこと。ブラックホールは光も闇もすべて吸い込んで、光に変える(光を吐き出す)のだそう!
公園でやろうとしてたことリンク?✨
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by arica_11 | 2017-05-26 02:22 | nekkonoarika | Comments(0)

戦いを止めること、こころを守ること

五月のチュプキさんのラインナップは、紛争の起きている地域のドキュメンタリーが多く…

これらの映画に、音声ガイドを付け、特別な字幕を付け上映されている
チュプキさんの心意気には改めて、頭が下がります。
紛争の今を生きる、市民の人たちはこう言います。
「悲しいけれど、怒りは返さない。それをしてしまうことは、同じ方法だから。
とても悲しいし忘れられない、だけど、怒りはない」
そんな風に。
強制的に攻撃や暴力を受けながら、自分たちからは返さないことを守り、
戦いを止めることを、何より大事に誓って過ごす、多くの人たち。
東ティモール、シリア、その他多くの現代の国々…
赦しとは、相手へ返すものではなく、苦しみさえ受け負った自分を赦すことだと言います。

どんなに力を受け取っても、多くの犠牲者を見ても、自分がそれらを請け負うことを赦し、
そこで暴力を止める気概を持ち、過ごしている人たちを、映画を通して見つめ

わたしたちの世界でも、それはいつだって持ち合わせていい気概だと
深く理解するのです。

わたしたちがネイティブアメリカンの聖地へ行けたり、ネイティブアメリカンの方に出会えたり
縄文文化の跡地を日本中追いかけていたり
アイヌとのささいなつながりもやたら多かったことは
(幼い頃からニポポ人形があったことや、卑弥呼という会社ではカムイとピリカというブランド名称が採用されていたし、辞めたときに最初に行った場所が阿寒湖を含む北海道横断だったり
チュプキというアイヌ語の映画館やアイヌの姉妹を描いた映画と出会えたことなど…)
それら古代から伝承された文化が持つ精神を、
わたしたちもチュプキさんも受け継いでいるからなのだと
今は信じられます。
たいしたものではもちろんないです。
あるものを利用し、多くを求めない…そんなもんです。

だけど大切なことには、大きな心やエネルギーを注ぐように
光ある場所を構築し、人々の平等なつながりを大切にまもる共通の認識を持つ方々に囲まれていると
皆が同じ思いで過ごせてる現在が
実際にアイヌや縄文、ネイティブアメリカンの守ってきた集合意識とも共通していて
古の願いやこころは今もずっと風の中にあるんだと、心底感じられます。

日本ではもうすぐオリンピックだけれど
そんな古き良き心意気こそ、これからますます豊かにしていってよい分野であり
誇りにして良い、多くの日本の人々の精神に根付いている想いなんじゃないかな。
大事にしてゆきたいし
大事にしてゆきましょう。

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by arica_11 | 2017-05-15 20:42 | nekkonoarika | Comments(0)

進化と回帰をくりかえしながら

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旦那さんにHPを少しずつ作ってもらってます。
遠方とのご縁は、こちらに記すとし…

ここはネッコノアリカプロジェクトのままかな^^

下記、見えるのかしら。



5月は、寒暖の差が激しくまた、寒い時期から暖かくなる季節なので
体調がなかなか整わないものです。
ゆったり休める事がとても重要な季節かも。
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のんびりしてると、明晰夢をかなり見ますね…
とても綺麗な水と緑のある、旧道のある麓の町から古い路線バスに乗ったり
イヤーコーニングという古代からある儀式を夢の中でやっていたり(そんなのあることも知らなかったのに)
今日は知人に夢の中で治療もしてもらった〜笑
彼はメディスンマンだったんだ〜!と気付いたり^^
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もう最近は必要なものが目の前にやってくるような流れで過ごせているので
時間があるときもないときも、その必要性が見られるし
必要ないものはすぐに取り替えられるような、そんな時代になった気がします。

アメリカで行けたフォート・ロックは、帰国後に人類最古のサンダルが出土した場所と知り
そのサンダルの形はまさにわらじで、日本の技術とも同じ。
オレゴンで見つかった古代人のDNAは、日本のアイヌ人と同じだそう。
縄文文化とアイヌ、そしてここ数年ずっと縄文の縁の地を巡ってきたことやら
アイヌの姉妹の映画「カピウとアパッポ」がチュプキさんで公開されたタイミングとも重なり
ひとつ、旅は自分の求めていることの集大成にもなった気がしました。。


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昨日は放送大学をなにげなしに見ると、
心の傷が痛むときは、体の傷の痛みと同じ脳の箇所が反応すると知り…
身体と同じように、心の傷だって時間をかけ、傷が元の皮膚に生れ変わる時間のように
筋肉が再生するのに時間がかかるように
時間のかかる治癒が必要な理由を知りました。

ちょっと前の日記にアクセスがあったのを見ると
そこには母子一体感というのが書いてあったりして(忘れてた)
そこに加えもうひとつ、「特別意識」というもののことも、最近学んで。
特別意識を持つ人が、自分の思いと少しでも違う考えを得た時に
相手を攻撃するGOサインを自分に出せてしまうということなど。

またアドラーの共同体感覚なんかも改めて勉強し直したり。

人に対して思うことは全て、自分の中の持ち物の響きであることも
改めて最近、理解を深めてます。

恐怖とか罪悪感、怒り、悲しみ、自己否定、無価値観なんかを
人を通して感じた時、
それはあくまでも自分の中で鳴り響いた音を捉えてるのであって
人の行動は関係のないものであること。
人は鳴り響くきっかけであるだけであり、自分の選択が音たちを肯定してるということだと。
一回ではなかなか理解しにくいことでもあるかもね。。

怒りとは、自分の中の無価値観や自己否定を覆い隠す蓋の役割とも言うそう。
見たくないものを見ないでいるために、他人に怒りを発信して、向き合わない。
人にネガティブな面を発信するのは、自分の中に、
目を向けたくない向き合わないものがあるという証明でもあるそうです。

感情はすべて自分の思いだからこそ、選択であるからこそ、
人に対してそれらを出すことは全く解決にはならない。
自分でそれらを手放すことを選べる世界へ辿り着くのが、叡智というものでしょう。

勉強の日々^^

ただ
特に小さな頃から人から「あなたのせい」「あなたが悪い」と言われて育ってたりすると
他人の揺れは自分が受け入れて解決するものという意識が日常になります。
痛みだけは、きちんと脳で反応して
受け取りすぎれば病気になったり、動けなくなったりの反応が起きるのに
その脳の痛みも、身体を蝕む傷も、全部ひっくるめて当たり前の日常になるから
手放せることに気づくだなんて、本当に困難です。

それらをずっと受け取って来た傷を持つ人こそ、
他者に同じものを受け渡すことが肯定できちゃいやすいのでしょう。。
大事なものが、自分の特別意識やら母子一体感やらになっていて
共同体感覚なんて経験がないから、ないも等しく。

そういった、経験なく知らないことだって
学べれば。
それがどんな方法だとしたって、結果は期待を裏切らないのではないかな。

実践とともに学べたこの数年は、
日々進化と、回帰の連続です。

みなさまへ渡せるものを増やすために!

楽しみながら、勉強できてる気がします♪

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by arica_11 | 2017-05-13 21:00 | nekkonoarika | Comments(0)

喜怒哀楽、光の額縁

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主人と旅をし、ずっと運転してくれたことは頼もしく24時間ずっと共に居るのはとても楽しく
想像を超えて楽しいも頼りになるも、人に、もたらしてもらうことがあることが
嬉しかった。

かつて人の突然の激昂に怯えて謝罪して譲って全てを手渡したことは、
先方からの優しい返答を戻した。
謝罪が返り、仲が戻って、一瞬の怒りはなかったことになる…というのを
親しみや愛情と見て。
そう、DVの構造だった。
そのとき最も親しく、信じ、大事だった、血のつながりも感じていた思い。。
本当に自分の意識は低かった。

つらい記憶も、光の額縁となるだけで、
ちゃんといつだって寄り添ってくれている、素晴らしい喜びのある世界を際立たせる。
見るのは光、ただ辛さは光との違いを教えてくれるために在るだけだった。

日常には光も闇もうっすらと同化し、人の激昂は自分の罪悪感を際立たせ、その後の謝罪は緩急によって安心に代わったりする。
本来の世界には、怒りも罪悪感も悲しみもなく
優しくあたたかい思い遣りに満ちた楽しさと、元々の安心をたたえているのに、
それを選ぶことを手放して、罪の意識や恐怖を選ぶことを良しとしたりする世界がここにはあったことを
随分と見ていない、開いてない被われた世界と今は感じる。
被われている世界を良しとする、そっちが本当だと言うような意識は、自分への暴力だった。
あまりにも本質からかけ離れた闇を、本質や真ん中と捉えてはいけない。

真ん中はいつだって光があって、優しくあたたかく、安心がある。
何があってもどんなに苦しい状況でも、頼りになって、楽しいものだ。
それこそが本当の世界であることを信じていい。
その世界に包まれて安心に浸って、かまわないのだ。








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by arica_11 | 2017-04-12 13:28 | nekkonoarika | Comments(0)

陰陽 光の額縁

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聖地と言われる場所は、陰陽がはっきりしていてわかりやすく
日常はなんてわかりにくく、勉強の場なのか〜と思えて愛おしく。。
陰の部分は額縁のようなもの とシャスタで受け取った。
目の前に陽光があると逆に捉えられない、間に余計なものがあって、光が際立つとか
とはいえその余計なものもデザインとして捉えれば美しい絵画になるとか
光と繋がるのに、間の余計なものの存在は邪魔にはならないのだ とか。
シャスタは優しく聞けば応えてくれるイメージ。
そしてそっと授けてくれる気がした。
ここ寄って〜ってちょっと引っ張ったりだとかも。
だけど今回の旅で終始教えられるのは、陰の部分。
陰があることが、当たり前だと捉えながら
それであっても光を捉えることだとか、闇をわるいものと捉えないことだとかが、
テーマだった。

それで、「誰もが誰もを救いたいと願った日」だと思っていたあの日
わたしは「救われようとするな」って願われたんだった!と思い出して…苦笑した。
高層階で揺れが強くめちゃくちゃになった自宅から、全くものも落ちず揺れも少なかったという一階の実家へ避難したとき
普段住んでないからと実家の一部のひとに帰ってほしがられたこと。迷惑がられたこと。
実家は被害がほぼないから恐怖も被害も知らない。知らないから、避難する意味も気持ちもわからないという理由。
テレビの中の人達の方がずっと辛いだろうという理由。

経験がなければ想像ができなかったり、自分の見積を正しいと思い込んだり
自分は迷惑だから、他者はその迷惑を酌んで思い遣ってこっちを救うべきというのが
「避難した方にも、強要される世界」を見られたのが、あの日だったんだと思い知る。
避難した人が必ずしも助けられたのではないこと。。
避難先に元々いた住人の、経験したことない出来事を想像できない気持ちや、迷惑な気持ちの方が、
助けられるということがあったこと。
3月15日の深夜に怯えながら、お風呂も壊れていた自宅に引き返して泣いたことを思い出す。

同じような気持ちを得た避難者の方は、全くいなかったわけではないかもしれない。
全ての避難者が、快く受け入れられた訳じゃないだろう。
全ての人が避難者の気持ちの想像ができたわけじゃないんだろう。
人が辛い状況に晒されるのを知りながら
自分のいやだとか迷惑に思う気持ちを解消する方を優先できる人はいる。

こんな世界が、日常には時々ある。
怯えること、辛いこと、恐怖や孤独を感じること、日常生活が送れない状況になることなんかも
人から必ずしも思い遣られるのではない世界は、日常ならでは。
(とはいえわたしは選べない。。選びたくない。)

怖さがそれを引き寄せた?そんな簡単な話でもなく
助けられるのが当たり前だと期待したせいだ という話でもない。
怯えなかったらそんなことは起きなかった というだけでもない。

ただ、額縁のようにその出来事は、自分の中の優しさや思い遣りの存在を、教えてくれたんだろう。
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どういったことがあの状況では必要だったか、どんな思いがあったかなどを。
どんな思いが人を救うか、どんな救いが欲しかったかなどを。


自分の中の光がはっきり強まって、人に還元されやすい場所へ移動してくれたのは
あの日の、辛い経験の賜物だったのかと気付き。。

日常では、多くの光の額縁は溶け込み、接する人に同化する。
あまりにも暮らしに沈み込んでしまう。

聖地はそのあいまいな同化を洗い流し、くっきりさせてくれる気がする。
光を授けてくれるだけでなく、光の額縁を教えてくれる場所、とも言える気がする。
その2つがあって、美しさは際立つ。
輝きが増したりする。










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by arica_11 | 2017-04-09 19:19 | nekkonoarika | Comments(0)

戦いと安穏、充実とは

数年、心に棘が残るのが、暴力というものの質なのではないだろうか。
戦争やいじめなんかの本質。終わった後も、蝕み続けること。
すぐには解放されないこと。
経験させてもらって、理解を深められたことに、空に、感謝を感じ。。
空を仰ぐような気持ちになる。

あたたかさはゆっくりじんわり、目立たない。
静かでささやかで、ゆったり広がってゆく。
鋭さはなく、気付かないくらいのものだ。
刺激の少ないもの、それが、安穏だ。

刺激ははっきりわかりやすく、目立つ。
そして痛いときは本当に痛い。
休まるものとは本当に全く質が違う。休まる方はだって、刺激はほとんど感じられないから。

刺激的にわっと感じて爆発させて、その後心休めようとするのも、戦いの質だ。
心なんて本当には休まってないしほっとしてもないのだけど、その落差がわかりやすくて、気が抜けるんだと思う。

本当の休まりは、安まりは、
気が抜けるんじゃ無く研ぎ澄まされて感覚が鋭敏になりながら、静かで刺激が全くないものだ。
凪のような、エネルギーをたたえている、静けさのこと

抜けることと、満たすことは全く違うし、イメージさえも真逆かもしれない。
本当の充実には、何をも要らないのだ。




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by arica_11 | 2017-03-15 07:45 | nekkonoarika | Comments(0)

前途洋々に


誰かの痛みを請け負うことを願われる、それは
ともすると幼い頃から受け取ってきていて、例えば大病を患った後に、金食い虫と怒られたり罰が当たったと言われたりなどがそうかも。だから
慣れっこでもあり、だからこそ、他にそうではない世界を探し求めていたにも関わらず
心の中では自分の痛みを願う人を肯定していたの。
大事な人たちだった。
だからその願いをも肯定し続けてしまう。これは多くの人に気を付けてほしいことでもある。
大事な、愛したい、愛されたい人を肯定したい気持ちと
自分が痛むことを願われる思いを分けること。
自分の肯定にはOK出してあげても、自分が傷付くことにはOK出してはいけない。

わたしはこの部分は難しいところだと思う。
たぶん自分の思いを否定して否定されるのを受け入れて、自分が傷付くのにOKを出す人は多いのではないだろうか。
そんな経験ない人の方が多いかしらね?

今わたしがお仕事でできていることは、この部分の経験が大きいような気がする。
誰かの請け負ってほしい願いがその人を否定することだったら、請け負って携えた自己否定は特に若い頃子どもの頃ならとても深い傷になる。誰かの手助けとして行ってしまう、自己犠牲の選択。。
その傷を当たり前の普通のものとして捉えないと、痛がったら痛すぎて生きられない人だっている。
痛みを感じなくてはいけないのはとても苦しい。
信じてた人たち、愛したい愛されたい人たちから、傷付くことを願われたことを、受け入れたくない。

だけど自分の思いはその他者の思いには関われないから、安心してほしいの。
自分の持ち物は自分だけで守っていいし
他者の持ち物もそう。
自分の思いが他者にとって違っても不都合でも願っていないことでも、他者は全く逆を思っていたって関係ないの。
自分の思いは自分のものとして守って
だからこそ他者の思いも保護してあげれる。
自分の領域には関わらない問題がこの世にはあって
それらは他者の持ち物なだけ。

辛い思いを持ったまま震災を迎えて揺れが広がってしまった。
震災は、多くの人にとっても被害だけでなく、それまでの心の傷みを更に揺り動かす機会でもあったと思う。
ただただ受け取ってその他者の思いを肯定するしかできなかったのは、余裕があるようで逆で
余裕がなかったからであり、それだけ大きく揺れていたからだった。
そして自分の傷みに連動して引っ張って来れたからこそ、相手の傷みも知ることができた。

時が経ち、自分に余裕ができてやっと、あの時の大きな揺れを認識できた。
あんなに大きく揺れて不安で苦しかったのに、他者の揺れ迄請け負って。
でも大きく揺れていたからこそ受け取れたものだったのかもしれない。
吸収して、相手に返さずに済んだのかもしれない。

今は揺れで得たものを、排出している。
無理はできないし、素直になった。
領域を分けられるようになったのは、お仕事のお蔭でもある。
自分にできることが自分を助けてくれるのを見させてもらえるのは、ありがたいことだ。
得られたからできるようになって、できるようになったから助けられている。
そんな風に全て繋がって、未来へつながっていくみたい。
前途洋々ならいいな。







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by arica_11 | 2017-03-11 20:26 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


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