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ふゆの日々。

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昨日はお友達のご結婚をサプライズお祝い^^
またまた不思議で、彼女のお名前や作品にちなんだものを見つけて、プレゼントしたいな〜と準備した次の日に
共通の友人からお祝いのお話をいただき。
みんな同じ時に同じこと考えてたの。

お祝いに駆けつける前は、お仕事の納入日。
絵を入れる袋を準備していたら、中からころんと、また彼女のお名前にちなんだ絵が!
このモチーフの絵、描いていたんだ〜!と忘れていたから、わたしにとってもサプライズ。
ぴったりすぎて、これはもう渡してということでしょうと、持参しました^^
花の名前を持つ彼女へ、そのお名前の花の絵を。

東京に戻って来てから深くなったご縁、出会えたお友達の数人。
今まわりにいる方は、ほとんど2013年以降から出会った方ばかり。
なんだか大人になっても全然友達は増えるし、たのしいね^^

そしてお仕事の方は、逆に、10年以上も前からのご縁も!
ことあるごとに思い出してくださって覚えていてくださって、
お仕事をくださるご縁に感謝ばかり。

こちらのお仕事も、今年の旅が大きく関わって
見てきた風景がまさにどんぴしゃの場所。
撮って来た写真がリンクして、編集さんもデザイナーさんもみんなびっくりで歓声があがるほど。
風景を描けてよかった。この物語に出会えてよかった。

市川拓司さんの作品との不思議なリンクもまだ続いていて
今年終焉の地に行ったリバー・フェニックスの映画、マイ・プライベート・アイダホのDVDを購入した次の日に
読ませていただいた最新刊「MM」に
またもやびっくり!
わたし、リバー作品なんだか余り観れなくて
アイダホも温存しちゃってた。
初めて観て、その次の日にびっくりのあるリンク。。秘密はMMの中にあります。
映画好きの方ならぜひ読んでみてほしー!

ますます日々、静かに自然に流れてゆく。
日々の中に、星を見つけるみたいに発見や知識が増えてゆく〜。
40代になっても、まるで学生のときに叶わなかったことが戻ってきてるみたいに
新鮮で、勉強があって、出かけたり吸収したり。
こんななんでもない日常でも。
ボランティアもお仕事もこんな風に自然に身に付くとは。。

ふゆへの日々には
講師、イベントでチャリティ大人の文化祭参加(講演に行った中学校で長く先生をされていた教師の方企画の!偶然この方とも映画館で出会えました)、
絵のお仕事、アートセラピーのお仕事
音声ガイドボランティアの打ち上げ(携わった映画、もうすごいやつ!!)、
忘年会^^
日々の運動(11月中旬くらいから急に走るの速くなったよ。呼吸が大事と思って)、旅など。
あ!あと地味に在宅モーオタだから、どぅーの卒業には感慨深いものが。
いつもは行かないディファとか池袋とか行った〜!ディファの横に友達住んでいてまたもやびっくり。
モーニングの十代の子の、人類のおとなみたいな無償の愛とか喜びや感動を与えようとする頑張り、感銘を受ける〜
昔はアイドルってエゴと戦いばかり目にしてたから全然見れなかったけど、今はかなり違うのだろうねえと思う。
そんな四十路…^^へんなの。

あ、ロシアアニメの最高峰ユーリー・ノルシュテイン特集の「霧の中のハリネズミ」ヨージックの言葉、「へんなの」も、本当に大好き。
みんな12月中に観ておいた方がいいと思う。チュプキさんへぜひ!

みなさんにとっても、不思議で愛らしく、へんな^^
素晴らしい12月になりますように。



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by arica_11 | 2017-12-13 02:31 | nekkonoarika | Comments(0)

音声ガイドについて。ついに制作!

本日よりチュプキでは、無料の映画鑑賞が19時よりはじまりました。
ショートフィルムコンペ 受賞作品の上映です。
約一時間の上映で、5本。
その中の5本目である、駒形ミヒャエル 監督作品『ドキュメンタリー Life must be easy』
根本が音声ガイド制作を担当しています!
監修はチュプキさんが入り、修正ももちろん入ってるけれど
一本まるごと書かせていただいたのは、初めて。
ぜひ、チュプキの特徴である、音声ガイドもイヤフォンでお聴きになりながらの鑑賞も、されてくださいね♪

ガイドなしの映画も観てほしいけれども!
本当に素晴らしい短編です。大好き!



音声ガイドは、9月ほどより3部作のある作品に携わっています。すごい嬉しー^^

音声ガイドとは主に視覚に障がいのある方の利用する、映画鑑賞の機会で聴けるシステムになりますが
ガイドは一本の作品につき10人ほどで、1ヶ月かけて制作する媒体です。
担当はひとり10分程度ですが、非常に時間と労力のかかる、壮大なお仕事です。
私が関わってる制作はすべてボランティアで創られています。

10分とはいえ、何度も映画を観、何度も言葉を推敲し、10分にさえわたしたちはまだまだ何日もかけて制作する状況。
それを毎週視覚に障がいのある方がモニターさんになってくださり、ガイドを担当する全ての人が集まる検討会を通して
一回につき6〜8時間、映画一本分で30時間ほどかけて検討をかけ、最後に通し検討を入れまとめて
仕上げてゆきます。
こんなに時間と労力がかかっても、出資する媒体からはお金は皆に分配できるほど配給されません。
音声ガイド制作を統括するチュプキさんも、10人以上が集まれる会議室にスクリーンを入れて、上映しながらのガイドあてをするための施設運営費や資料代が毎回かかっています。
もーすごいです。
みんなの映画愛、チュプキ愛、ボランティア精神がなくてはできないお仕事!本当にこういった作業に携われているのは光栄です。

障がいを持った方へ向けた支援への、助成はまだまだ少ないです。
そして全然支援が足りてない状況。
映画の音声ガイドも、欧米は定められていてほぼ全てに入っているのに
日本は相当遅れていて、最近やっと制作されているとか。
その草分けの存在がチュプキの親元である、シティ・ライツなんですよね。。

ガイドをボランティアの方が創られていることは、何よりその映画が好きだからに他なりません。
本当に大好きな映画に自分のガイドが入る喜びは、代え難いものがあるー
そんな中でも、多くの人の見識が上がり、こういった作業が世の中に存在していることとか
それを無償で行っている人がいることへも、目を向けられる世界になったらいいなーとも思います。
今は何に分配されてる世の中なんだろ。
研究への助成はいっぱいあるのに、たった今必要でもうすでに動いているものへの助成ってなかなか目を向けられていない気がするなー。

わたしは絵を通すものは決してボランティアは行いません。なんだろ、産み出す場所が違うし、身の削り方の度合いの大きさを知っているからかも。
それでもお金がないよーと言うところでは安価で引き受けるために、お話しさせてもらったりして、決定することはよくあります。
敬う気持ちがお互いにあれば、どちらも極端な犠牲を被ることはなくて。
そんな風にお互いが敬い合って、みんなが苦しくなく進められることがとても大切だからこそ、
絵に関しては完全ボランティアは苦しくなってしまうとわかっているので、行わない…そんな自分の作業への理解が有る感じです。
それでも、ボランティアが良いという部分だけを見てしまえば
なんでもボランティアの方が優れている、みんなもやってるのだからそうすべきだという考えも出てきてしまったり
話し合いもなく要求だけがもたらされたり、勝手にそうなってしまったりということもしばしあり。。
そこはもう敬いはなく、欲や甘えで創られる世界になってしまってるんじゃないかな。
こういった甘えの導入では、ボランティアも、当然お仕事も、やらない方がいいと感じています。

ボランティアとは、
自らの意志により参加した志願兵のこと。長じて、自主的に社会活動などに参加し、奉仕活動をする人のこと。
とあるように、自分の意志で選び喜べる活動であることが大前提。
こっちから依頼したい!飛びつきたい!くらいの行動を選べる場合と
依頼を受け、無から産み出す場合では
その労力の使われ方は違うと思います。
作業とはすべてを一緒くたにはできないことを、ちゃんと理解していないと
ボランティアは、問題ある見識も、時に生みだしちゃう媒体な気もしました。
差別や偏見が、ボランティアができるかできないかに入ってきてしまったら、本末転倒ね…と。

何に関しても状況に合わせて見間違えずに。
これからも好きな作業、表現は、じゃんじゃん進んで行ってゆきたいなーという2017年末なのでした^^















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by arica_11 | 2017-12-01 22:18 | nekkonoarika | Comments(0)

循環のこと。2010年あたりからの回収のこと。

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人はだいたい7年周期と言う。男の人は8年とか。少しランダムだけど、だいたい7〜9年で、ひとつの周期が終わるみたい。
今は2010年あたりに起きたことが、一回りして、基に還ってゆくとき。
本当に実感しすぎる今年は
ねえ、ほんとにやりすぎなくらいだから、もうこれ以上還ってゆかないでよって
思うくらいに、還っていってしまう。
全て基に。
基の持ち主のところに。

出来事は全て自分で回収する!
本当に本当に、必ずそう。
近年、この回収を何度も見させてもらって、もう止めたいほどに。

それでもあの頃いただいたものは、そのことを教えてもらうためのギフトだ。
だから赦して大丈夫だからね、みんな!と心から思えたの。

発信は必ず本人が回収する。因果応報もある。だからこそ、出来事が起きたら、すぐに赦して忘れて手放して大丈夫。
意識から遠く遠く放って大丈夫だよ。

それでただ、そんなすごいことを体験させてもらうチャンスに、感謝していよう。
信じていて平気さ。
必ずそうだから、信じていて。
だからこそ赦して、そんなことなかったように、あなたは笑顔でいてね。


絵を描くことを選んでから、本当に信じるしかないような出来事ばかりが起きる。
確かにお仕事の巡り合わせも、2010年頃のご縁が循環している。
あのとき心から思いを込めて制作したものは、今再び、思いを込められるように、やってきてくれている。

わたしは、なぜか原宿の会社に就職したときに原宿の隣駅に住む叔母に、ここに住んでと言われた。
23歳の自分はそんなことできないとなぜか、信じられなかったけれど叔母は世を去り、家だけがさみしげに残って、わたしは会社を辞めて
その後一生懸命掃除をして叔母の思い出を捨て
悲しいありがとうの気配と共に自由に住むことができた。
そうやって絵を描く家をもらえたことはもしかしたら、
15歳の頃の大病のせいだったのかもしれない。
ゆかちゃん、楽しなよ、体休めなよという叔母の声が聴こえる様。。
叔母の家は、出来事への信頼への確かな出発点だった。
当時は信じられなかったな。

必要で行う費用はすぐに返還される。サポートが入る。
それらがまた、別のお仕事の礎になっていたりする。
ボランティアだって、必要を感じて行えたらそれは、未来の返還の礎になってしまうよ、勝手に!望んでなくとも!

アメリカの旅も勝手に続きが起きてゆく。びっくりしすぎて涙が出そう。
旅をして得た児童虐待への配慮も、願った次の日に願いが叶った。

我が家はものすごいキラキラは手にしていないし
他の人が持っているものも持っていないものもいっぱい。
そのことを、まだ持ってないの?と言う人がいるのも知っている。

だけど持っているものは、思い遣りや愛情から回収された多くのギフトだ!

人のために動いたことの自分のために動いたことの、ギフト。
その循環を信じられるようになれるほど何度も何度も巡って来た宝物。

こんなに誰からかどこからかわからないギフトを手にしたら
これ以上何を望む?
そしてこのことは皆も起きてること。

自分のしたことが本当に人の役に立ったり、心から喜べることだったら
必ず同じ思いが戻ってきてくれる。
人の役に立った分だけ、自分の役に立つものとなり
心から喜べることを投げかければ、またいつか心から喜べる。
7〜9年かかるかもしれないけれど必ずね^^最近はすごい速さだけどね。

だから人に辛いこと苦しいことを投げかけてはいけない。
辛いこと苦しいことをわざわざ未来に受け取ることない。そんなの絶対選ばないでね。

そして辛いこと苦しいことを受けとったって、それは今の自分には関係のないことだ。
人が投げたブーメランが頬をかすめただけ。ぶつかったわけではない。受けとったなら過去の自分に耳を澄ますことが大切かも。
そしてその空を切る流れを観察するだけでいいい。慮って、見守ったらいい。

本当の痛みは自分にはないことを知って、そのアバンギャルドな?^^投げかけを赦そう。
その方がずっとずっと未来が気分がいいから。
出来事と関係のない自分を知って、静かな意識に戻って。苦しい思いは手放そうね。
もし傷付いたら、7〜9年、もしかしたらそれ以上前の過去の自分の問題のせいかもしれない。
今の自分のせいじゃない。
誰もが。
誰もが傷付くことを選ばないでも大丈夫なこと、知れていけたらいいね。







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by arica_11 | 2017-11-16 06:23 | nekkonoarika | Comments(0)

大きな種をつくる今

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本日は荒川区の中学校で講演会でした。
上手く話せず反省反省ですが、今年は十代の方達に会ってゆきたいと思った瞬間から、めちゃくちゃ会わせていただくように変わったので
感謝ばかりの大切な機会となりました。。(リバーフェニックスの誕生日の決意のやつ!しっかり今日、地上波でリバーに会えた〜すごーい^○^)
バリアフリーに関することで先生からお話をいただいたので
ご縁あるシネマ チュプキ タバタの代表平塚さん、スタッフシン君に、専門のバリアフリーやユニバーサルについてメインに話していただく場を提案し、
そこにわたしも壁画やイラストレーションで関わったということで、ご一緒させていただきました。。
平塚さんのお話は圧巻でした。
なぜ映画館を造ろうと思ったのか、バリアフリー上映をなぜ始めたのか
映画が好きになったきっかけ…
ご自分の夢やきっかけが、多くの同じ思いを持つ方達にも共感して貰えて、その素晴らしい思いにみんなが感動して
だからこそ多くの支援をしてもらって
映画館という大きなプロジェクトさえ、人の助けと共感とワクワクと感動によって、
叶えることができてしまった彼女。

本当に凄いことだけど、自然で、当たり前のような出来事に思えるくらい
その活動は大きな、みんなにとっても大切なものなんだと思います。

視覚に障がいのある方のための音声ガイド作り、聴覚に障がいのある方のための字幕スーパー
全て自分たちで作っていて、その作業量は膨大です。
それらを本当に楽しんで、でもかなりの労力をかけて作られているチュプキさん。

その労力の量をみんなが理解しているからこそ、みんなが支援しようとしてくれている循環。

そのような優しく、力強い場所に関われるのは、自分にとっても誇りです。

わたしは彼らの活動に感動してご一緒させてもらってるけれど
そこにはもちろんお仕事であるという自覚や線引きもあります。
チュプキさんが支援されるように、彼らもきちんと、命があり場を守るほどの力を発揮する、「アート」へも
支援しようとされる思いがあり
わたしへの支援もどんなに近くとも、入れようとしてくださいます。
そのきちんとした思いには、常に力をいただいて。。

そうやってお互い、大切にし合い、また助け合いながら
支援のやり取りを、続けている今。

それは今回講演を依頼してくれた先生や、学校からも
同じように感じさせていただきました^^

みんなの思いに共感するから、そして手助けしたくてみんなで笑って楽しみたいから
みんなで助け合って、それが循環してゆく環境。。

以前それがうまく作れなかったのは、犠牲になっても人の安心や欲求や喜びを優先しようと、不安定や怒りや悲しみを鎮めようと
考えてしまった自分の思考の誤りのせい。
でも意識は、ただそれは本当の思いなだけだと言ってることにも、今は気付きます。

ただしたいことなだけ…。
そして今の周りのみんなも同じ意識で。
当たり前に人を助け、辛さを鎮めようとしていて
でもそれを利用する人だけが、ほぼいないのだと思います。
人を苦しめても平気な人は全然いない!

もし誰かが犠牲になりそうになったら、誰かが救い出し声をかけ
怒る人から遠ざけ
自分たちの好きな雰囲気や環境をみんなが守ろうとしてる。

その共通認識やタッグは本当に強い!

ネガティブな言動を使って人を苦しめるのをわかってる人や、自分だけは得しようと考える人など
そんなこと考える人は環境からいなくなってるところもわたしたちの強さであり、喜びでもあります。
でも、そういったネガティブな事象にさえ、思慮と愛情で、責めたり排除するんでなく、やっぱり手をつなごうとしてるのが、みんなでもあり。。

本当にかっこよすぎ!

よく事象は自分の鏡と言うじゃない?
でも、辛い人を助けたい思いや、なんとかしようと願う気持ちは
引き寄せでも、承認欲求でも、横柄さでもなんでもないよ、と、わたしは今は認識しています。
ただ、有るだけの感情。
それしかできない体の動き。
反射みたいなもんです。

その反射である、果てしない無意識の優しさと深さと強さを、
共通する思いを持つみんなで、もっともっと意識に広げて
大きく固められたらと思います。

大きな種に。
地球に生える大きな芽、そして花になるように*











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by arica_11 | 2017-11-11 11:11 | nekkonoarika | Comments(0)

今此所を見てと絵は語る。

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このところとても安心して過ごせてる。
大切なものは心の中にあるのが、見られたからかな。
家族もニコニコして毎日しあわせ〜と言っている。
そしてしあわせはいくらでも湧き出せて、遠くにも行き渡っていくものだねと話す。
夏に行ったワークショップにより、家族も「見るのは自分の中だけ」と気付けたそう。
10月の末にも色のワークショップをやらせていただき、満員御礼だったけれど
多くの方が、安心は自分の中にきちんとあることを、見つめられるような気付きの時間を
あらゆる場面で持てたらいいなと願う。
最近読む本も、全て同じことが書いてある、今ここ を見なさいと^^

過去も未来も自分を侵せない。
対象もそう。
人も仕事も子どもも家族も。
答えは自分の中のもの。
たったひとつの意識に全てがあるの。

それを知っている中でも、いくらでも新しい出来事は起きる。
でもそれらも、このパターンを知っておきなとか、こういった場合もあるよという学びの機会でしかない。
こう来たかとか、なるほどーと思うけれど
その中でやっぱり特に心動かされるのは、自分じゃない他の人が傷付くのを目にしたとき。
目の前で人が苦しんだり怒ったりしてしまったら、その状況は改善しようと試みるし
それでも外部の媒体にいるときは手が出せないようなこともあり
そういった媒体に身を置く自分たちは、引き寄せとかの簡単なイメージだけでなく、つくづく「知りたい」のだと思うのだ。

人気のレストラン、人気の読み物、人気のアーティスト、素敵な表現、発信…
多くの人に感動を与えていると同時に、その媒体の表現方法によって同じくらい悲しい思いをしている人がいるなら
それらはどんなに良さを広めているようでも、産み出してるものはネガティブポジティブどちらの要素も孕んでいる。
そういった1つの媒体が産み出す両極端の効果についても、考えさせられるときだった。
もちろん自分の方法も含め。

犠牲を孕んでプラスを作るとか、気付かれなければ何してもいいとか
全ての人に受け入れられるわけじゃないと開き直るとか
そういう時代だけはもうおしまい。
これを得なくては幸せじゃないとか、これがないなら足りないという思考は
全然捉えなくて大丈夫のものたち。幼いこども心の持ち物*
すべてにある調和、バランス。スターウォーズでも言っているね*
どちらが善悪かではなく、どちらかになってしまうのでなく
善悪はいつだってどちらも同時に存在してるのかもしれない。
そういった両極端の存在をきちんと見て、判断したり思考したりできていけたらいい。

意識はただひとつ。思考も、対象から貰う思いも、意識を取り巻くあらゆる思いの粒。
どの極を見ても動く思考は生まれるだろう。
そういったばらばらに動く思考にまどわされるのではなく
真ん中の芯を捉え、理解していられる、そんなようなこと。
芯は自分自身のものでしかない。
そこにしか答えはない。

今ここに在る その可能性や平穏、幸せ、のびのびとした広い空間、制限のない気持ちよさ
あたたかいふとん、おいしいごはん、たのしい会話。
そういったものを見て。
といつも絵の声は語りかける。



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by arica_11 | 2017-11-10 02:22 | nekkonoarika | Comments(0)

両極を知るチャンスでしかなかった。

大袈裟で嘘でもある脅し言葉の正当化は、「良い行いをした」という自覚しか残していないようだった。
大袈裟に言い過ぎている、脅すほどにまでなるその方法の、そのあまりいいとは言えない面は見ないでいられて、
自分は良いことをしたのだというイメージだけ、信じていられること。
嘘ではない少しは本当だとか、大袈裟じゃない正しい面もあると。
どう伝わってるかはそっちのけ、相手の捉え方が悪いと、
自分を正しく捉え、相手が間違ってると設定できる心。
人には色んな側面がある。
その一番前面で、大きなネガティブがあるという設定のみを人に強烈に手渡す方法。
側面の、今は大丈夫だよとか、安心できるよとか、心配しないで大丈夫は、その訴えには全く入らないこと。
とにかく一番前を見ないなんておかしいと、側面の可能性を考えることさえ、心配じゃないのかおかしいと責める要素となること。

そうして結果的に側面の方により真実があることが露呈しても
前面をアピールした自分は悪くない、側面を見なかった方が悪いのだと言い切れる。

そんな手法があるのだなあと、今は思う。
そんな方法や、それを産み出せる内面を見せてもらったのは、
素晴らしい出来事だったのかもしれない。
隠せる中身を、これほどまでに感じさせてもらうことはないから。
そんな凄い体験なのに、揺れてしまったのはまだ感情や思考が整っていなかったせいだ。

大袈裟な脅し言葉を聞いたのは、そんな方法には真実はないとただ、知りたかったから。
その欲求の答えも、合致すると知られた。
真実ではなかった答えも、間違ってない正しい行いをしたのだという言葉を聞いたのも
本当に現状起きていることの真実と、人の頭の中の真実のずれを教えてもらった出来事。
知りたかったから、すべて結果まで、その先まで教えてもらえた。

これほどまでに大きな両極を知るチャンスはなかった。
でも考えてみると全て、心に残る真実と発信のずれの機会は、
ただ両極を知るチャンス、自分だけの真実を知るチャンスでしかなかったと気付く。

経験はすべてありがたい。
見せてもらえてありがたかった。
思考と感情の調整だけが、自分にもたらされ宝となっていった。





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by arica_11 | 2017-11-10 00:48 | nekkonoarika | Comments(0)

東京、東京じゃないところ

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今月は新しく始まった学校と、
都の中学校教育の一環での美術指導などもあり
こどもたちにたくさん会う一ヶ月だった。

中学生は穏やかで感性鋭く、同級生の先生の教育もすばらしくて(口悪いんですと中学生が言う)
優しくやわらかい時間を過ごせた。絵がそうなっていって
風の音も潮の匂いも感じられる、清々しい世界観ができあがった。
学校全体がほっとしている、安心の地域なのだと感じられた。
また来月たのしみ!

専門学校は意識や絵のレベルも高いひとも多く
同時に基底や感情の揺れもまっすぐ教えてくれる素直さや解放に
見せてくれていることへ襟が正される。よかった。

今までも、いろんな人に感じられた、人々の基底の傷や感情の揺れ、自己の拡大など。
掬うように目にさせてもらい、すこし悲しく、でも、その傷や痛みを人に与えて安心する方法でなく、
安心を自分で構築できるような方法を、これから春までに知っていってほしいと思った。
何ができるだろう。

東京の教育と随分と違う土壌で、
でもその場所だからとレベルは落とせない。
東京に出た時に、同じスタートラインから始まってもいいはず。
みんなを初めから後ろからのスタートにさせられない。

東京の感性と、地方の心持ちの違いは随分とまだまだある。
たった一時間の距離なのに!

こんなに今、此所では手を取り合って、自分が困っていたって困った人を助けようとする人が自然と増えているのに
まだ、自分が困っているときに人を困らせてほっとする大人が多い場もあるだろう。

子どもはいくらでもそうしたらいい。
大人の声、方法、それの循環、正当化
そういった土壌があるなら、どんどん壊したい。

いつか穏やかにたおやかに、ほっと安心できる芯を立ち上げられる基盤を
子どもたちが自分で築ける、
自分で創れると気付ける、
時間になったらいいな。

決めたことは本当にすぐに実現して、こんなに素早く見せられる。
すごい!





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by arica_11 | 2017-10-31 00:00 | nekkonoarika | Comments(0)

鍋にしようか

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10月下旬に入り、ますますパワフル。
今回は、ちょっと勉強や改革?の方でパワフルなのではないだろうか。
雨もずっと続き、こういうときは静かに本を読んだり、ぐーっと寝て夢を見たり
たくさん思考を整えるときなんだと思います。

思考を整え、無理なく開かれたら
真ん中の芯も静かに落ち着く、そんなイメージ。

秋口はたくさん揺らされた。雨も多い夏だったし、すごく変な気候だもの。
そんな中で、これはどう?これは揺れるかな?って、試されるように
必要なお試しがやってきたみたいです。

今年は、子どもの頃から行きたいと願っていた場所の地名を初めて知ったり、
えいやっと出かけてみたら費用がなぜかすぐに戻って来たあのアメリカ旅やら
何年も胸に残っていた揺れのきっかけの出来事が、現実から押し出されるように消えてしまったことで、
あらまあと自分の中の揺れまで幻のように消えいったりだとか

芯の思いを、環境が完全にサポートしてくれる信頼を持てた年となった。

なので、揺れることは完全に勉強でしかないし
誰のせいでもなくただ自分の表層に起きたことであって
真ん中に戻れば何も起きていないことにどんどん気付けて

鏡のような水面を見るように、どんどん奥の静かな水辺の景色を楽しめるようになっていった。

みなさんの中の鏡のような水は、いつも豊かで美しくうっとりと眺めていたのに。

自分はそんな場所を持ってはいけないような、持っていたら申し訳ないような、笑われてしまうような、そんな不必要な気持ちがあった。
今までも、静かに笑顔で過ごしているときに起きる、評価や卑下の声に
豊かであっていいはずの思いや持ち物をすぐに打ち消してしまっていた。
それらはただ「どうだい?どうだい?」って、問いかける「よすが」なだけなのに。

どうだい?って聞かれたときに、どうでもないさと思える気持ち
これはどう?って試された時に、おかしいねと笑える気持ち
静かだねと、何も捉えない気持ち
そういった力こそ誰にでもあるし
そんなんでいいのだ。

胸の中は
冷蔵庫の葱やら
明日の予定やら
あたたかい寝床やら
家族と飲む珈琲やら
新しい靴下に
答えがある

そんな感じなんだと思う。





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by arica_11 | 2017-10-23 02:22 | nekkonoarika | Comments(0)

はじまる

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10月6日の牡羊座満月のあたりから、ぐーっと環境も変わって来て。
太陽月水星牡羊座なので、何か影響あったのかな?やたらイケメンから連絡来るのどうしてだ笑

その日より、講師のお仕事もはじまり。
やっぱりとても楽しかった。みんなの内面も表現も、どちらも見られることが増えていて。
これからが楽しみ。
来週は急遽、中学校でも教える機会があり
個人から、また再び社会へ戻って来た感も。

数年ぐうっと個人にクローズアップしていたし
一人一人に向き合い解消や発展を選べることは大切に思っていたから。
だけど、もしかしたら今まで見させていただいた方はもう
ステップアップされたのかも。
段階を上がられて、ご自分の本質の向かう道にまっすぐ進まれているのかも!

そんなみなさんの変化が確かにあるからこそ、個人の時代から
より多くの人と関わる社会の方へ
戻らされてるような、気配を感じる今。
そして更に、ここ数年はほぼ関わることのなかった世代で、一番気にかかっていた
十代や、二十代前半の方達に携わるように変わっている。

今は、わたしもそうだけれど、みなさんも
自分の大切な思い、大事な気持ちが、自分を取り巻き支え、共に歩んでゆける世界観こそ
選んでいってほしいものに思っています。

前回の日記、非公開にしちゃったけど
自分を大切にしない方法で、人に自分の心身を委ねて
成功したり実現する人も、もちろんいるのを知られているし
それを自分が望んで、楽しめているなら、そのままでよい…とはいえ
他者まで巻き込んで傷付けたり苦しめたり、思い遣りに欠けた方法をとった上で
楽しんでいるのなら
その心の方は、わたしは、循環させたり広げたり培ったりはしたくない。

人それぞれ、だけれど、
自分は、これを選ぶ、これを選ばないという部分の確かなものを
理解することだって、とても大切な人生に寄り添う意識だと思う。

自分は成功を選びたいけれど、周りは傷付いてもいい とか
まわりが苦しんでも、自分は喜べるからいい
という感覚も、ただその感覚をこれから本人も経験するだけだから
ずっと人にしたことは、自分も経験するという流れがある中で
自分が傷付いたり苦しむ方を自ら選びたいと思ってる人が
多い世の中であってほしくない
というエゴがある。

時にわざと苦しみ傷付きを選んで「マゾだから」と言ったりするけれど
どうかな? 
その方法しか知らないだけではない?

楽しさ楽さ、喜び、共有、安心。そういったものを選んだって
ちゃんと幸せになれることを、特に若い人には知っていてほしいの。

わたしたち世代は、時々この選択ができない。
わたしもだけれど
小さな頃から培って来たのが人助けや我慢、努力根性、犠牲だったりすると
楽して喜べるなんて、選んじゃだめでしょうと思ってしまう人
とても多いの。

だからこそまだ選択を多くしない時期の人たちに
犠牲や苦しさを選んで、すさんで、人を傷付けても平気な人になるような流れが感じられるなら
修正できたらいいなと、思っています。

わたしたち世代にはできなかった、若い頃の修正。
けど実際は年をとったって、記憶や意識に囚われず、真ん中の芯の意識を整えてゆければ
過去も未来も変化させることができるのも、知っている♪

yufuで、決めた願いは。
実際外部にさえも広がったけれど、
yufuではより一層、真ん中の本質だけにクローズアップできるような
心地よい人間性と環境の強化ができるような方法を、培ってゆきたいです♪
(書くと叶うから書いた〜^^)
さて、どんな風に進んでゆくかな?楽しみ!



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by arica_11 | 2017-10-08 14:29 | nekkonoarika | Comments(0)

こどもごころへ残すものとして 罪悪感の扱い方について

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「こどもたちの心を無闇に傷付けないこと」として
不安や恐怖心や罪悪感を無闇に与えないこと
は、
とても重要な意識であると思う。

お母さんが亡くなったあとも家族を見守っているという絵本がある。
お子さんがお母さんのパンツを穿くシーンがあって
子どもの心の扱い方や、傷の扱い方に違和感を感じて。
親が亡くなった子どもの持たなくていいのに持ってしまう罪悪感に
目を向けていないからかもしれない。

絵本は子どものためのものだけれど
それを読んだ子どもは何を思うだろう。

母の立場だと、その物語は未来の茫漠とした不安が癒せて安心を得られるかもしれない。
子ども達は、未来の広い広いこれからの世界に、お母さんの死の可能性がぽとんと落とされ、いなくてもお母さんはいるというイメージが先に押し寄せ
パンツは癒しになるかもしれないイメージがもたらされ
悲しみに対して混乱する気がするし、本当にそんなことになったときは更に追い込まれやしないかと。。
何か、良い話やイメージのようで、死の扱い方に、違和感を覚えてしまって。

遺品の下着を整理したことがある。

下着は簡単に扱えるものじゃなかった。
本当に、亡くなった方の魂くらいに重要なものだったの。

絵本は創作でしかないけれど、
全ての人の魂の扱い方が、罪悪感や悲しみの扱い方が
見守りと癒しでただ片付けられるには、
簡単すぎて辛かった。

わたしたちは確かに大きなものに見守られているし、実際に死者はそばに寄り添うというのもあると思うけれど
そのイメージは、真っ先に悲しみを癒すとか安心する方へは結ばれない、先に
大きな波が押し寄せ、いたみが湧き起こり、わけもなく罪の意識に駆られるからこそ
整理に時間を必要としていい。
昨日まで元気だった人との別れなら尚更だ。

その整理の時間とは、笑いや安心や簡単なイメージで癒す時間でもなく
とてもじっくり静かに腰を据えて、ならしてゆくものに思う。

こうなったら、こう、とイメージを与えてしまうことが、大きな暴力にならないかと心配になる。

こんなときはこうでしょと、決めて、笑いさえ差し込む提案は、強烈すぎやしないかな。。

この物語が子どもの元に届いたときの、その一方的な、大きな人からの力が、
子のその後の人生に大きな痛みとなって残らないか気にかかる。
大きく広めてしまってる大人の責任はないかな?
未来に生きる今の子どもはだいじょうぶかな。
作家さんは、他の作家に嫉妬されていると書いていたけれど、きっとそうでなく
ただ、他の作家さんは子ども達を心配しているだけな気がする。
今の心、未来の心どこをとっても。

大人が子どもたちの文化を通して安心や財産を得るとか自分たちの不安を癒すような方法ではなく
大きな人だけの世界でそれらをできるようにならないと、子どもへ負担をかけてしまうね。

これから、子どもたちが大人からもたらされた強烈な力のことは、ずっと見ていたいし
また大人の無意識の安心への欲求や
無意識の子どもへの力添えを
気を付けてみてゆきたいと思わされた、
このところの世の中のこと。









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by arica_11 | 2017-09-16 08:58 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


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