陰陽 光の額縁

c0326156_19265069.jpg

聖地と言われる場所は、陰陽がはっきりしていてわかりやすく
日常はなんてわかりにくく、勉強の場なのか〜と思えて愛おしく。。
陰の部分は額縁のようなもの とシャスタで受け取った。
目の前に陽光があると逆に捉えられない、間に余計なものがあって、光が際立つとか
とはいえその余計なものもデザインとして捉えれば美しい絵画になるとか
光と繋がるのに、間の余計なものの存在は邪魔にはならないのだ とか。
シャスタは優しく聞けば応えてくれるイメージ。
そしてそっと授けてくれる気がした。
ここ寄って〜ってちょっと引っ張ったりだとかも。
だけど今回の旅で終始教えられるのは、陰の部分。
陰があることが、当たり前だと捉えながら
それであっても光を捉えることだとか、闇をわるいものと捉えないことだとかが、
テーマだった。

それで、「誰もが誰もを救いたいと願った日」だと思っていたあの日
わたしは「救われようとするな」って願われたんだった!と思い出して…苦笑した。
高層階で揺れが強くめちゃくちゃになった自宅から、全くものも落ちず揺れも少なかったという一階の実家へ避難したとき
普段住んでないからと実家の一部のひとに帰ってほしがられたこと。迷惑がられたこと。
実家は被害がほぼないから恐怖も被害も知らない。知らないから、避難する意味も気持ちもわからないという理由。
テレビの中の人達の方がずっと辛いだろうという理由。

経験がなければ想像ができなかったり、自分の見積を正しいと思い込んだり
自分は迷惑だから、他者はその迷惑を酌んで思い遣ってこっちを救うべきというのが
「避難した方にも、強要される世界」を見られたのが、あの日だったんだと思い知る。
避難した人が必ずしも助けられたのではないこと。。
避難先に元々いた住人の、経験したことない出来事を想像できない気持ちや、迷惑な気持ちの方が、
助けられるということがあったこと。
3月15日の深夜に怯えながら、お風呂も壊れていた自宅に引き返して泣いたことを思い出す。

同じような気持ちを得た避難者の方は、全くいなかったわけではないかもしれない。
全ての避難者が、快く受け入れられた訳じゃないだろう。
全ての人が避難者の気持ちの想像ができたわけじゃないんだろう。
人が辛い状況に晒されるのを知りながら
自分のいやだとか迷惑に思う気持ちを解消する方を優先できる人はいる。

こんな世界が、日常には時々ある。
怯えること、辛いこと、恐怖や孤独を感じること、日常生活が送れない状況になることなんかも
人から必ずしも思い遣られるのではない世界は、日常ならでは。
(とはいえわたしは選べない。。選びたくない。)

怖さがそれを引き寄せた?そんな簡単な話でもなく
助けられるのが当たり前だと期待したせいだ という話でもない。
怯えなかったらそんなことは起きなかった というだけでもない。

ただ、額縁のようにその出来事は、自分の中の優しさや思い遣りの存在を、教えてくれたんだろう。
c0326156_19154870.jpg

どういったことがあの状況では必要だったか、どんな思いがあったかなどを。
どんな思いが人を救うか、どんな救いが欲しかったかなどを。


自分の中の光がはっきり強まって、人に還元されやすい場所へ移動してくれたのは
あの日の、辛い経験の賜物だったのかと気付き。。

日常では、多くの光の額縁は溶け込み、接する人に同化する。
あまりにも暮らしに沈み込んでしまう。

聖地はそのあいまいな同化を洗い流し、くっきりさせてくれる気がする。
光を授けてくれるだけでなく、光の額縁を教えてくれる場所、とも言える気がする。
その2つがあって、美しさは際立つ。
輝きが増したりする。










[PR]
by arica_11 | 2017-04-09 19:19 | nekkonoarika | Comments(0)

Gallery & Art therapy room atelier yufu taratineにて、風景画と人物画で表現するアートセラピー活動も行っています* http://nemotyucac.exblog.jp


by arica_11
プロフィールを見る
画像一覧